明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

麒麟がくる【感想】第16回 大きな国

「夢はでっかく」な父と「足元から一歩づつ」な息子。父のキャラ、インパクトが大きく、確かにクールなダークヒーローですが、どうにも腑に落ちないものが積もりに積もっております。

  • 光安
    領地替えって別に悪い話ではないはずなんですが、「十兵衛に兄から受け継いだものをそのまま渡したい」という思いがものすごく強かったのですね。飼っていた小鳥を逃すときの背中が小さく見えて寂しかった。

  • 帰蝶
    十兵衛が初めて自分の判断で尾張にやって来て、ところどころ狼狽えるような表情を見せたのが印象的でした。弟をけしかけたこと、ほんの少しだけど後悔してる? 信長の方が意外と冷静。
    道三の兵の頭数が足りない分は、伊呂波太夫とお金の力で調達した傭兵でおぎなうのか。

  • 高政
    国衆の領地を異動させて、検地みたいなことをやるというわけね。こちらも落ち着いて見えますし、前回より殿らしくなってる。道三があんなんじゃなければ、意外と信長とうまくやれたかも……なんてことをちらっと思いました。(婿を盛大に持ち上げ、関係がギクシャクしてる嫡男をディスる、自分からわざわざぶち壊しに行ってるようなもんで、本当の切れ者ならやらないでしょう。大きな夢より、目先のつまらない自尊心を満たす方を優先するとは、器量が小さすぎ。)

  • 道三
    どの口が「自分は嘘をつかない」なんてことを言うんだ?
    道三については演出も演技も重々しくて立派なので、つい雰囲気に流されそうになりますが、第1回から振り返ってみると、この人、自分がどれだけのことをやらかしたか、忘れた・分かってない感がすごくて、やっぱり見ててしんどい。
    先代から託されたという大きな国を作る夢、それをきちんと嫡男に継がせることを怠ってきたよね。先代から託された、というくだりもちょっと唐突だったし、息子とうまくいかないことに悩んだりするでもなく、国衆にも大して話さず、自分のやり方(きちんと説明もしないのに)に沿わないやつは愚か者だといわんばかりに見下してきた。夢だけが先走って、足元をおろそかにしてきたのに、此の期に及んで綺麗事を言うのか。いや綺麗事を言わせた方が、手っ取り早くドラマ的に絵になるのは分かるけど、モヤモヤするなぁ。
    ドラマの道三のキャラを踏まえると、夢と現実と自分の愚かさなど全部飲み込んだ上で、それでも最期の意地を通して決戦に臨む、となればグッとくるのであって、唐突に綺麗事を並べられても「すべては自業自得でしょ」としか言えない。
    自分のために死んだ家臣の名が出てこなくなって老いを感じたから、家督を譲ることにした、というのはよい理由付けだと思いました。
    ところで戦国武将が嘘つかない、って立派な事なの? 時代の価値観としては、使えるもんはなんでも使うのもありじゃないの? 高政が土岐家の血筋を名乗る理由を「身を飾るため」と本気で道三が思っているなら、息子を見縊っている証拠だし、また道三自身のコンプレックスの裏返しのようにも思えました。

  • 十兵衛
    初めて自分の意思で尾張に行って、さらには道三につくことを選んだわけですね。無駄な戦をしない国ではなく、大きな国を選んだ。京や堺、尾張に行く機会を与えられたのが大きかったし、大きな国や鉄砲は信長へとつながっていく、ということでしょうか。

  • 今更だけど、道三が十兵衛にしたのと同じように、高政にも外の世界を見聞する機会を与え、対話の機会を持てていたら、こんな壮大な親子喧嘩は起きなかった? って、それでは歴史ドラマにはなりませんがな。
    ただ、ドラマの中で道三が自分の理想をきちんと話したのは十兵衛だけ。評定の場では、気に入らなければ怒鳴ってキレておしまい(って書くとただの老害みたいだな)。息子に対してはその力量を侮り、土岐頼芸にいらぬ事を吹き込まれているのを見ても陰で睨みつけるだけ。その場で何も言わないのは良いけど、お家に帰ったらちょっと息子をシメとこうとは考えなかったのかな。絶対に家督を継がせないと決めているなら、あえて放置でもいいかもしれないけど。
    こんな調子では十兵衛以外の人々は、道三の意に添う対応をとるのは難しいでしょう。十兵衛だけが先見性があったというふうに持って行くための、一種の主人公補正のようにも思えます。

  • ふと思い出したが、真田丸で嫡男・源三郎について「戦には向かないが平時には必要な男だ」みたいなことを言ってた昌幸が慕わしい。昌幸も道三に負けず劣らず無茶苦茶なキャラでしたが、好きだったな。子供たちのことをちゃんと見ていて、戦大好きな己とは反対の素養も認める懐の深さよ。源三郎兄上もかなり父上には振り回されて、気の毒でしたけど。

道三は出家前も坊主の姿もかっこよくて迫力があって、一つの場面だけを切り取って見てるぶんには眼福なんだけど、ふと冷静になって話のつながりなどを考えると、なんか違和感が拭えないのです。
道三への文句をいろいろ並べておりますが、正確にはキャラの好き嫌い以前の問題で、場面ごとのノリ優先で、何かと盛りすぎて変になってる気がする。「西郷どん」の島津斉彬が同じような感じでした。

 

ここから追記
道三退場に向けての番宣を見ました。本編のアゲ具合のさらに増量・道三アゲだな。たぶん最大の人気キャラになったし、番組を盛り上げるために推すのはいい。でもこのドラマが群像劇というなら、人気の出た特定のキャラを、いろいろ盛って持ち上げるのはなんだかなぁ。必要以上にケレン味たっぷりに良く見せようとして、あちこち歪んでませんか。(で、一番割り食ってるのが高政なので、私は高政を推す!)
最期を綺麗事で押し切るなら、その場は一時だけ盛り上がるかもしれないけど、話も人物もかえって薄くならないか?「平清盛」では、健気で無頼な高平太から清盛入道の老害っぷりまでまとめて趣があったのですよね。