明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

今更だけど「かぐや姫の物語」の感想を書いてみる

 先日テレビで初めて見て、自分の中でもやもやしたものの正体がやっと掴めたので、書き留めておく。世間様から一周遅れですわ。

 映像が素晴らしくて圧倒された。筆と水彩の絵があれだけきれいに動くのは本当にすごい。まさしく職人技の結集。幼少の姫や山里の子供達がころころ動くのも可愛い。どこまでも高い空、匂い立つような緑の深さ、なんて美しいんだろう。女童や相模は素敵なキャラだ。見ていて本当に楽しい。竜の玉を取りに行く大伴大納言の船の船頭さんも好きだ。嵐の中、無茶苦茶な大納言様に対して腹を立てるでもなく変に下手に出るでもなく、淡々と面倒見てくれる。なんて良いおじさんなんだ。ちょっと萌えた。

 ただ、後半になってくるとなんか物足りない。肝心のラストシーンでも、どうしても姫のために涙を流すことができなかった。挑戦的で美しい映像のこの映画は娯楽作品じゃなくアートだからな、泣いたとか感動したとか、そーいう分かりやすい感想はどうでもいいんじゃね、と思ったりもした。しかし、もやもやしたものがすっきりするわけでもなく、週末ずっとひっかかっていた。

 なにやら私にとって印象深いのは映像と脇役ばかりだ。翁は娘からみたらピントのずれたとーちゃんだから、感情移入しにくい人物であるのは仕方ない。でも媼にも姫にも気持ちを寄せる事ができずに終わってしまった。それで人様はこの映画をどう見たのだろうとネット上の感想をいろいろと見てみると、「映像すばらしい、感動した」系と「翁と姫の気持ちのすれ違い、生きる事の重さに泣いた」系が多く、一部にストーリーに納得できない方々がいる模様。

 場面ごとに記憶を辿ってみると……お披露目宴会の中、姫が屋敷を抜け出して疾走するところまでは、それこそ息を詰めて集中して見ていた。だから、少なくともここまでは面白い映画だと思って見ていた訳だ。姫の生き辛さに共感していたし、彼女の感情を写した荒々しい描線の迫力にも魅了された。桜を見に遠出をして、親子連れからはからずも現実(もう野山を駆け回っていた竹の子は存在せず、自分は高貴の姫君としかみてもらえない)を突きつけられるあたりも、まだ中盤だというのに泣けた。で、石作皇子の安っぽい口説き文句に自分で対処しないところで、あれ?と思った。かぐや姫ってこんなキャラだったかな。竹取物語では、求婚者に対しては才が立った姫様だったような記憶がある。っていうか「かぐや姫の物語」でも才女としての描写はあったはずだけど。でも、まあハイティーンの女の子と考えればこういう描き方で良いのかな、と思い直したり。

 やがて、屋敷の中に作られた田舎家のシーンから違和感が大きくなった。たぶん姫はこの場面では大人の年齢のはず。なのに、この後の展開では子供のように感情の赴くまま泣いたり叫んだりするばかりだ。嫌な物は嫌で当たり前だし、悲しかったり悔しかったりすれば泣くのは当然だし、自分の感情を殺して他人のために生きる必要なんてない。でも姫は才女で時代の価値観とは違う感覚の持ち主という設定があるのだから、そこを生かしてほしかった。翁に対してはただ悲しそうな顔をするだけじゃなく、言葉を尽くして自分の思いを理解してもらう努力を見せる場面があったり、御門とは最後の気力を振り絞って健気に対峙するも圧倒的な権力に負けた、とかね。セクハラされて泣くだけでは、見ている者はフラストレーションがたまる一方。そういう話は現実世界だけでたくさんだ。姫がそういう風に頑張っても、物語の展開上たぶんその努力は報われないだろうけど、それでもいいんだ。「生きる」って、報われない努力と報われた努力の積み重ねだと思うから。

 ただし、感情的に泣くだけのキャラが物語を構成するために必要な要素として配置されているのなら、それはそれで構わない。でも、この物語におけるかぐや姫は完璧に肯定された存在であり、監督の代弁者なのだろう。だから監督が意識の底で「最終的には女は泣くしかできない者」と考えているように思えて、醒めてしまったのだ。

 映画公開時のCMが姫の疾走場面だったから、生命力に満ちた雄々しく立ち上がる姫様の話だと勝手に決め込んでいたのかもしれない。実際に視聴してみると男性キャラはことごとくクズ男だったし、人間の身勝手さを描いた作品だとすれば、泣くばかりの姫はありなのかな。

 まあ、とりとめなく書いたが、要は姫は世間の価値観に縛られていないキャラなんだし、学も才もある娘なら、たとえくだけ散っても己の罪と罰に毅然と向かい合って欲しかったんじゃよ(個人的願望)ということで〜。お迎えが来るというラストは変えられないにしても、最後に泣くんじゃなく足掻いてみる姫様がいたっていいじゃん、映画なんだから。

 屋敷の中の田舎家については、マリー・アントワネットのプチ・トリアノンと重なってみえた。どちらも偽物の田舎。アントワネットは、途中いろいろあったが最期はフランスの女王として気高く散って、かぐや姫は赤子のように泣くだけ泣いて月に帰った。

アントワネットのイメージは私の中ではツヴァイクの伝記と、なんといってもベルばらで長年かけて醸造されたものなので、現実がどうかは責任持てません、すんません。

マリー・アントワネット 上 (角川文庫)

マリー・アントワネット 上 (角川文庫)

 

 実際読んだのは、これよりもっと昔の翻訳。この新しい訳の方が読みやすいらしい。