明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

のぼうの城【読了】

いまだに脳内が「おんな城主 直虎」に支配されているので、戦国時代の話に手が伸びました。

史実ベースだけど、あまり難しいことは考えず、勢いで読みきってしまう本。つまらないことがあった時、ぱーっと気晴らししたい時に読み返したくなりそうです。負け戦の話だけど、百姓衆がしたたかなところが、後味すっきり感を増しています。特に小生意気な若侍の酒巻靱負の下についた、じいさまだけの足軽集団が好きだな。

小説を読む時は頭に映像が浮かぶクチなのですが、映画も見ていなかったので、豊臣方の顔はだいたい「真田丸」の方々です。豊臣方のイメージが鮮明なのに忍城の人々はのっぺらぼう状態で、どうも落ち着かず、映画のキャストを確認。のぼう様は小説では縦横に大きくてぼんやりした田舎のおっさんのように描かれていますが、演じたのは野村萬斎ということで、全然タイプが違います。ひょろりと大きくて浮世離れした感じの方がのぼう様の人柄と合ってるなぁ、ということで小説の描写は横に置いて、脳内映像は野村萬斎で統一。
でも、のぼう様ってぼんやりしているようで、本当はよく物を見ている人です。情と冷徹さの両方を備えていて、状況が違っていたら良い城主になっただろうに。和睦交渉はお見事でした。

真田丸」で源次郎や大野修理にのぼう様のような器の大きさがあれば、結果は変わったかも……って、あの世界には茶々様という死神が憑いてたから無理か……

地の文でところどころ地名や距離の単位が現代仕様なのが、現実に引き戻されてしまうようで残念です。小学生の時は埼玉県民だったので、なんか社会科副読本を読んでる気分。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
ギリギリ松の内です。

去年は、直虎の感想しか書いてませんでした。今年はもうちょっと別のことや、大河以外の見た物についても書きたいし、読んだ物の記録も残しておきたいです。

ということで、昨日見たテレビの感想。「精霊の守り人」は一昨年の最初から1回も欠かさず見ております。昨日の第6回「戦下の別れ」の戦シーンが凄まじかったので、忘れないように書いておきたくなりました。

原作読んだ時の私の想像力なんてゴミでした。草兵(新ヨゴ国で強制的に召集された農民の兵の呼び方)が何にもできずに塹壕の中で右往左往してるところを、蟻の行列を踏み潰すかのように蹂躙していくタルシュ軍。なんとなく何年か前のNHKドラマ「坂の上の雲」の旅順や203高地が思い出されました。あの時もテレビドラマでもここまでの描写をするのか、と見入りました。が「坂の上の雲」の原作は大人を対象とした小説だけど「精霊の守り人」の原作は一応子供向け。NHKは割とこういうところ、逃げないできっちりやります。やっぱりスポンサーなしの局は必要だと思う。
新ヨゴ国の帝や偉い人々が集まった場で、敵に街を取られる前に焼いてしまおうって決める場面。確かに戦術としてそれはありだけど、井伊の殿なら同時に住民に「持てるだけの物を持って隠し里へ逃げろ」って言うよね。帝に特別な力なんて無いのを全員わかっていても、誰も口にしないどころか責任逃れの道具にする。
冒頭でバルサとチャグムの未来を見据えた別れが清々しかったぶんだけ、新ヨゴ国の終末感がしんどかったです。

「西郷どん」の第1話も見ました。いかにもやんちゃ坊主な感じの子役がいっぱいわちゃわちゃしてて、一見明るい雰囲気。でも身分や男女の差別がどーんとあって結構重かった。

おんな城主直虎/第50回 感想

終わってしまいました。
たくさんのエピソードを丹念に拾った展開で心残りなく、清々しく終わりました。1回も欠かさず見続けて、本当に良かった。

  • 自然に関する於大の方と直虎のやりとりに50回全てが凝縮されていた。最初はまず、虎松の身代わりになった名も知れぬ病気の子が思い出されたが、その子だけでなく敵も味方も含めて全ての命の話だった。お家のためという言葉は、肝の据わった大人の判断のようにも聞こえるが、逆から見れば思考停止のようにも思える。答えは一つではない、っていういつかのセリフを思い出した。
    たった一人の幼子の命を助けることが大河の主人公のエンディングって、他の大河と比べると確かにスケールは小さい。天下統一やら大大名に出世やらに比べたら、ゴマ粒のよう。けど全ては諦めずに一歩を踏み出すことから始まる。これまでの直虎と井伊の歩んできた道のりを見てきた者にとっては、決してありがちな綺麗事の場面ではなくカタルシスを感じる場面だった。(ついでに「子のいない人にはわからないでしょう」「子がないから、どの子も我が子と同じ」は大河だけのことではなくドラマとして一歩踏み出した。)
    於大の方も本心から自然を葬りたいわけではないから、ほっとしたよね。
    「若はどうやって生き延びられた、答えよ」と万千代の眉間に向けて弓矢を構えた傑山さんは、今までで一番迫力がありました。
    そして、なんとなく宙ぶらりんだった之の字&六左の褒美の茶碗が、すごい役に立った! 自然くんを信長の遺児にでっち上げるための偽の証拠として、件の茶碗が織田の追っ手に示された。自分が半ば気まぐれで褒美に与えた茶碗が、巡り巡ってモラハラしてた家臣の息子を救ったという結末
    に、信長はどんな顔をしてるんだろう。あの世で光秀と腹を割って話せてるといいな。
  • 高瀬については、近藤殿が一枚上手だった。いつから井伊の娘だって気がついてたのか問い詰めたいぞ。
  • 御初代様の井戸はあの世とこの世をつなぐ道で、これを通るには子供の姿の竜宮小僧になる必要があるのかも。
  • おとわを迎えに来た鶴と亀が、わだかまりとか一切感じさせず本当に自然に同じ画面に収まっていたところで涙腺決壊しました。そして子どもの姿の龍雲丸も現れて「一緒に連れて行ってくれ」と……そういうことか……。
  • 龍雲丸がずっと持ってた赤い水筒と、堺で餞別としておとわが渡した青い水筒が壊れた船とともに砂浜に打ち上げられている風景だけが映る。二人とも互いに先には死なないという約束を守り通した。
  • 昊天傑山の途切れ途切れのお経、葬式に出ず一人呟く和尚様、黄金色に輝く田を行く葬列と付き添う民、徳川の陣に殿の訃報が届いた時の涙雨。これらの風景を思い返すと悲しいけれど、どこか心洗われる思いがする。それはおとわが自分の命を使い切ったからなのだろう。
  • 和尚様から井伊の魂として白い碁石を受け取った万千代、そして万福と之の字に六左は北条との和睦をまとめるため、国衆の証文を集める旅へ。万福があまりにも爽やかに政次の磔を交渉のネタに使うので、泣きながら笑ってしまった。
  • 直虎が城主になった時、怪しげな商人として現れた方久が祝いの品として持ってきた硯。方久がそれを直虎の形見として万千代に届ける。ここで出てくるなんて思いもしなかった。また泣いてしまうじゃないか……。
  • 北条との和睦成立を祝う宴会。年齢や立場が上の方々がノリノリの宴会芸で盛り上げる。豆狸の家康、はまりすぎ。氏真ぼっちゃんが派手な衣装で歌い踊るの見てたら、桶狭間の後に今川館で捨てばち気味で踊り狂ってたぼっちゃんを思い出した。赤烏帽子はあの時と同じもの? 今の氏真は心の底から楽しげにサービス精神満点で踊り、万千代の元服したいという願いに、誰よりも先に「心得た!」と声を上げる。一応他所のお宅のことだろうに、あんたにそういう権限があるのか、とツッコミ入れたいが、まあいいか(笑)。氏真からすれば井伊家は裏切り者だったわけですが、そのあたりのわだかまりは消えたのね。ぼっちゃん、尊い
  • 直政の名の由来は想像通りでしたが、登場人物がほぼ揃った場で家康の口から語られたことに胸熱。公に政次と小野家の名誉が回復された瞬間。
    あとはもう親戚のおばちゃんの気持ちで見ておりました。あの弱虫だった虎松が、暴言吐いては万福に布団蒸しされてた万千代がこんなに立派になって、と。
  • 直政が家康と碁を打っている場面。亡き殿に言われた通り、信康の現し身として仕えているんだね。
  • と、思ったのもつかの間、陣中で赤備えの武者に軽く見られたことに憤って、一番槍になろうと馬を駆る。って、それ大将が戦場でやったら一番あかんヤツじゃ……。榊原様の冷ややかな目が容易に妄想できるぞ。単純にカッコよく終わらないところが、この物語の直政らしい。
  • 最後は陽の当たる場所に置かれた碁盤に「完」の形に並んだ碁石、手元と声だけで誰か分かる演出。地獄でも極楽でもないあちらの世の平和な井伊谷で、政次と直虎のささやかな約束が果たされ、側で直親も見ている。アップになった殿の無邪気なドヤ顔は「どうじゃ、やってみなければわからぬであろう?」という感じでしょうか。
    龍雲丸は明るいうちは龍雲党の仲間と過ごして、日が落ちる頃に帰ってくるんだ、きっと。気賀に立てられた手書きののぼり旗「井伊にて待つ」もあちらの世で現実に、と勝手に妄想。

柴咲コウさんについてはこれまでほとんど出演された作品を見たことがなく、なんとなく美人女優という認識しかありませんでした。が、殿が柴咲さんで良かった。お茶目で無鉄砲なイノシシで、思い切りがよくて度胸もあって、でも本質は女の子で、男女どちかららも慕われる、そんな殿は柴咲さんが演じられてこそ成り立つキャラクターだったと思います。尼頭巾の下の力強い目が本当に好きです。

このキャストで続きが見たい。けど、殿の物語には綺麗にエンドマークがつけられたので、不粋な気もします。続きは、どこかの乙女ゲーじゃないが、あなたの心の中で……が、いいのかも。続きというか、朝ドラのスピンオフのようなお話が見たい!

 

おんな城主直虎/第49回 感想

前回の終わり方からして、シリアス展開になるのかと思いきや、意外なほどコメディ回。でも後味はちょっと苦かったです。

  • 堺行きで、久しぶりに見ることのできた直虎と愉快な仲間たちの図がうれしかった。初めて行った気賀でハイテンションだった殿がよみがえる。おとわの本質は全然変わっていなかったのね。
    急遽、人を手当てするために方久に詰め寄って有り金を出させるところとか、その借りた銭は後で万千代からむしり取って返すとか、尼さんの格好なのに言うことやること昔の殿のままだ。
  • 直虎が堺に行くことは表の歴史には全く何の意味もないけれど、この時点で龍雲丸と再会することは直虎の人生には意味がありそうな気がしてる。
  • 堺で待ってるという9年前の約束について。龍雲丸は待つと言ったが、おとわはそれに対して、待たずともよいと答えていた。おとわの意識の中では、このやりとりで約束としては「待たない」で、きれいさっぱり上書き保存されてそう。おとわに情緒とか繊細さとかがあれば、別名保存しておいて、龍雲丸の心情など様々に想像してみたりするのでしょうけど。でもそういうのを彼女に求めるのは、無茶だわな。
    「戦をなくすための戦をしている」というおとわに、「相変わらずイカれておるのぅ」と返す龍雲丸が本当に幸せそうな顔をしていた。昔、出会ったばかりの頃に惹かれた尼小僧様が戻ってきたんだもんね。
  • いろんな見方があるけれど、やっぱり信長はただのツンデレとは思えない。最後の家康への贈り物の茶碗を選ぶシーンだけとれば人間味があるように見えなくもないが、全体を通してみると共感性が欠落したDV男じゃないのかなぁ。信康の首を欲しかったのは確かだし、この人のおもてなしは相手のことを思いやるというより、趣味であり美意識を満たすもの。光秀を思い切り蹴倒した直後に優しげな口調で頼りにしてるとか言っちゃうところはDV男の典型で、氏真を楽しい男としか捉えておらず、なんでもないことのように桶狭間の話をする(これは前回でしたが)ところは他者の気持ちに無頓着である証だ。同じ回で氏真が直虎に「そなたにとってはわしも仇か」と言ったことと比べたくなる。もちろん相手の気持ちに寄りそう優しさなんて信長には必要ないが、上に立つ者として人の心理を的確に捉える能力は持つべきではないか、とは思う。
    今は徳川主従を殺す気はないし、家康を大事にする気持ちに嘘はないだろうけど、ちょっと風向きが変わったら顔色一つ変えずに殺してしまいそう。
  • この信長は権力の頂点にいる者として魔王を演っているんじゃなく、直親なんて足元にも及ばない正真正銘サイコパスじゃないかと思えてきた。こんな人の近くに仕えてたら……そりゃ光秀の心が壊れても当然だ。執拗におみくじをひく場面、「敵は本能寺にあり」というおなじみのセリフを口にした時、暗がりの中で鈍く光る目。本当に精神的に追い詰められていたんだろうと感じられた。
    どうやって信長はこんなモンスターみたいな人間になったのか? 母上と折り合いが悪かったとか弟を殺したとか、そういう史実の断片と絡めて色々と妄想が膨らみます。
  • 直虎が方久からせしめた銭で人を雇って、龍雲丸は徳川ご一行が京へ行かないように一芝居うつ。そこに常慶が光秀謀反の本物の知らせを持って現れたので、今度は同行している穴山梅雪を丸め込むための芝居の始まり。打ち合わせ無しなのに、上手いことアドリブがつながるもんだ。康政のような頭の回転が早くて機転のきく人が徳川にいて良かった。
    あとは劇団徳川のコントを堪能させていただきました。スケコマシ発覚の回と同じくらい笑ったよ。
  • 一番かわいそうなのは穴山さん。たまたま一緒にいただけで気の毒なことになってしまった。ここが直虎版・家康が子狸から狸親父に変わっていく出発点なのかも。

おんな城主直虎/第48回 感想

残りあと2回なのに、どんなふうに決着するのかわからなくなってきました。 

  • 万千代、酒癖悪い。次郎法師も相当アレだったので、これも井伊の血筋なのか。しかし社長以下、役員勢ぞろいの場でクダをまくって、たいした強心臓だな。そして全員の目の前でさらりと足を引っ掛けて、酔っ払い万千代を倒す万福に萌え。
  • 自然くん、かわいい。本当にいい子役をキャスティングするなあ。こんなにちっちゃくても武家の子の誇りなのか、困ったような表情をしながらも一言も口をきかずに最後まで持ちこたえる。
  • 浜松訪問中の信長VS押しかけ氏真ぼっちゃん。ちょっとばかり芝居ががった氏真の口上にゾクゾクした。一応は恭順してるふうなのに、どこか胡散臭い。信長の方はいつも表情も声色も温度が低くて、今回は魔王を通り越してSFに出てくる超越者(「百億の昼と千億の夜」の惑星開発委員会とシとか)みたいな雰囲気。視線が違うから、信長の理想の天下布武と普通の人の求める天下布武は別物なんじゃないかと、このドラマでは思える。
  • 明智光秀が総白髪なのは、年齢じゃなくストレスのせいなんだ、きっと。
  • 氏真ぼっちゃんVS直虎の場面が今回、一番テンション上がった。これまでの47回を全てを積み重ねた上での会話劇。
    「そなたからすれば、わしも仇か」に対し「誰が仇か考えないようにしている」のところ、本当に泣いた。明智に加担する氏真の理由が、桶狭間や瀬名様の仇を取るだけじゃなく徳川を守るため、ってのがもう……。
  • 家康を説得できるのは家臣ではなく直虎。家臣ではさすがにあそこまで思い切ったことは言えないかも。直虎については、以前に家康は「井伊殿に私欲はないから、信用できる」と言ってたし、決して主人公補正で唐突に振られた役割ではない。最愛の奥方・瀬名様が姉様と慕った人から「日ノ本の扇の要になってほしい」と請われ、最後に記憶の中に生きている瀬名様が背中を押す。

信玄は退場間際になって、少し内面を見せてきましたが(和尚様と酒を酌み交わしながらの話で、生まれ変わったらお天道様になりたいってヤツ)、信長はどうなるんでしょう。

おんな城主直虎/第47回 感想

これまでのあれやこれやが回収され収束し、心洗われる展開でした。今、見ている物語は大河の源流。万千代、之の字、六左。みんな井伊からこぼれ落ちた一筋の流れを本流へ運ぶ人になるんだ。

  • ただ一つ、兵糧攻めから味方に引き込む計画がうまくいきかけたところで、織田からのお達しでダメになったアレは、重かった。地味だけど、涙雨が降り、どんよりした空気の中で徳川の武将が出陣する場面はずっと記憶に残りそう。
  • 政次について、前回は一切名前を出さず回想もなしで、でも存在感はとても大きかった。今回は但馬但馬と連呼され、回想シーンもたっぷり。
    ただ井伊谷を守るだけでなく、さらにその先へ繋がる道を見いだしたことで、直虎の中で政次の一生が昇華されたからなのだろう。
  • 之の字、どんだけ殿が好きだったんだ。最終回の後(史実からして、たぶん直虎は亡くなると思う)そんな之の字は生きていられるのか。真田丸の内記ではないが、追腹切るとかしやしないかと心配になる。……けど「戦わない戦」に挑む徳川に仕える万千代を助けてやってくれ、というのは殿の最後の下命になるかも、なので使命を果たすまで悲しくても辛くても直政を支えるんだろうな、と妄想してたら切なくなってきた。
    殿は之の字の微妙な心理に全く気付かない大雑把な人な訳ですが、気付かれてしまったら之の字の方が恥ずかしさで身の置き所を失って爆発してしまうかもしれないので、これはこれでいいのだ、うん。

おんな城主直虎/第46回 感想

ただ悲しいだけで終わらなくてよかった。悲しいままだったら、次回まで待つ時間がひたすら辛かったです。

  • 何も言わずに立ち去った直虎、姉様が帰ったと聞かされて、それも当然だと納得する瀬名様。子供の頃なら闘志をむき出しにするか、涼しい顔の裏に隠すかの違いはあっても、二人とも徹底的に食い下がるタイプだった。
  • やっと政次についての本音が直虎の口から語られた。こんなことでもなければ、墓場まで持っていくつもりだったのだろう。悲しいとか申し訳ないとじゃなく、怒っていた。とても直虎らしい感情だけど、めったなことでは口にできないよね。最後に実際に手にかけたのは直虎自身だし、他人にはすんなり理解してもらえないかもしれない。お互い相手を上手く使うと約束していたとか、そんなところから説明しなきゃいけないとしたら……やっぱり無理だ。
    それにしても、直虎が瀬名様を説得する時の表情は凄まじかった。普通なら迫力にのまれて「ごめんなさい、もうやめます」と折れるところでしょう。そんな不動明王ばりの直虎でも、瀬名様の心にさざ波一つ立てることもできなかった。
  • 瀬名様がアントワネットで、石川数正がフェルゼンのよう。美しいとは見た目のことだけでなく、お家のために迷わず命を差し出す潔さも含めてのことなのだろう。
    「何を今更」と瀬名様が余裕で返す様子は、死を前にしても動じないお方様の誇り高さが表れていて、忘れられない名セリフになった。(断頭台に向かうアントワネットと重なって見えてね……)
  • 瀬名様の首桶を囲む人々の組み合わせが、因果と業の塊でした。昔その首を要求した虎松が目の前で生きていて、頑張ったが助けられなかった幼馴染の首桶を前に嘆く氏真ぼっちゃん。でもさらに昔、その幼馴染の首を刎ねる寸前までいったこともあったよね。家康も政次を見殺しにした人だし。そして氏真と虎松は、今ではつぶれた家の子という点において同じ立場。
  • 信長が欲したのは、手駒にならない信康の首であって、武田に通じた者の首ではないのだからどんな策を講じても無理、と視聴者はわかってるけど、徳川家の人々は知る由もない。
  • 白い碁石がこんなところで出てくるとは。和尚様が孫かわいさに目の曇ったジジイではなく、次郎法師を導く賢者に戻った。
    結果的に瀬名様が直虎の背中にもう一度、翼をつけてくれた。今度は井伊谷の外まで羽ばたいて、命を使い尽くすのだろう。政次が笑いながら「お前はどこの領主だ」と言い、対する直虎は「やってみなければ、わからぬではないか」と目を細める……ってありえない世界線を妄想中。
  • 和尚様が直虎にハッパをかけるのに、頭を持ち出したってことは、どこかで再登場するってことでしょうか。殿として比翼の鳥の相棒は政次、連理の枝の相手は頭だといいなと思う派です。
  • 万千代が碁盤の上の石を払い飛ばしたとき、家康が「せ……」と言いかけたところが最も泣けたシーンでした。本当に唯一無二の奥方様だったんだ。この家康ならば、ずっと正室を迎えなかったという史実も納得です。
    さらに、ここにきて政次までが家康の行く末に繋がった。自分の出世=井伊家再興までしか考えられなかった万千代が、とうとう覚醒した。

キラキラの今川館で瀬名様に話しかけられて、挙動不審に陥る竹千代が思い出されてしかたありません。亀・鶴・おとわだけでなく、龍王・瀬名・竹千代の三人の子供時代も大切だった。そして義元が討ち死にして以降の氏真ぼっちゃんの心の変遷も、妄想すると止まりません。