【第7回】短編小説の集い「のべらっくす」に参加します
初めて参加させていただきました。
どうにも収集つかなくなっています。5000字は長くて短いですね。これでは短編小説というより、思いつきの設定だけ並べてプロローグ書いてみました〜的な感じだなぁ。
旅立つ
世界には禁忌の魔法が三つある。
一つめは空間をねじ曲げる空の術。二つめは大地より金銀や玉を生じさせる地の術。そして三つめが時間の流れを操る時の術。
これらの術に溺れた古の人々は天の怒りを招いた。海は割れ、地上は焦土と化した。そうしてやっとこれらが人の手に余る術と悟り、禁忌としたのだった。もしもこれらの術を行わなばならぬときには、封印を解くのと引き換えに、その時代の王が己が命を天に捧げることと決めた。三つの魔法の秘文書は魔導師ではなく、三人の記文師に一種類づつ分けて託された。ただ次の世に歴史と戒めを伝えることが目的であったので。それぞれの記文師の一族は何世代にも渡って秘伝書を守り続けた。また、王が天に命を差し出すような事態も訪れなかった。
千年ほど平安が続いた。が、ある時いとも容易く禁忌は破られた。記文師の誰かが出来心をおこして聞き齧りの魔術を試したのか、あるいは書庫に盗賊が入ったのか。今となってはもう真実はわからない。最初に破られたのは地の術で、不心得者が生み出した爪の先ほどの金の粒が全ての終わりの始まりになった。せいぜい大人一人の半年分の食い扶持にしかならない小さな欠片だ。次に空の術が使われ、やがて世界は秩序を失い混迷を深めていったが、天は一切意思を示すことはなかった。混沌の時代に入って百年が過ぎた。王都は荒れ果て玉座は空になって久しい。混乱の中を要領よく立ち回って力を蓄えた者が人々を恐怖で支配した。魔導師や騎兵隊の統制を失った闇の獣が瓦礫の街を徘徊し、僅かな水と食料を争って貧しい人間同士が殺しあった。そんな中、時の術だけは辛うじて守られていた。決して危機がなかったわけではない。秘文書を狙う勢力に対抗して、私財を投げ打って兵や魔導師を雇い、一族の男どもも命を賭して戦ってきたお陰だった。金さえ積めば、力のある魔導師をいくらでも雇うことができた。
やがて時の術の書を守ってきた一族はある決断をする。このまま守勢を続けるばかりでは、いつか財も尽き書が失われるやも知れぬ。まだ子供であった次代の長に書を託す賭けに出たのである。
都の外れに人々から忘れられ朽ちかけた邸がある。そこを改造し三重の石壁を巡らせた隠し部屋をこしらえて子供と書を隠し、一族と志を同じくした魔導師の手を借りて五年五ヶ月決して解けることのない封印を施した。もし途中で封印を解くのなら、術をかけた魔導師の血が必要になる。彼は術をかけ終えるとすぐに底なし沼に身を投じた。これで封印の鍵は地上から消えたわけだ。そして一族の者たちは城壁の中に火を放った。ある者は留まって火に焼かれることを選び、ある者は放浪の旅に出てあちこちの村で「時の秘文書を守ってきた記文師は追い詰められて発狂し、都は天罰による業火に覆われて滅びた。禁忌の書は全て失われた」とふれて回った。
秘文書とともに隠し部屋に封じ込められた子は、シェリファという十二歳の少女であった。出入り口のない部屋に簡素な寝台と机、角に竃がしつらえてある。ただし燃料の都合もあって滅多に火を起こすことはできない。小さな中庭には井戸もあったが、不測の事態に備えて雨水を貯め、野菜の種を蒔き、あとは保存食の干し肉や木の実、堅パンなどで命をつなぐのである。そして大量に持ち込んだ書物で記文師としての勉学に励みながら、暦に印をつけて封印の解けるまでの日を数えて過ごした。家族との永久の別れ、そしてこの隠者の暮らしが寂しくないと言ったら嘘になる。だが、この身は時の秘文書を守る定めを負ってこの世に生まれ落ちたのだ。すでに自分の役割も立場もよく理解していたから、悲しみに溺れて五年五ヶ月を無為に過ごすようなことはしなかった。手元の書物の内容をすっかり諳んじられるようになった頃、五年目の春を迎え十七の娘になっていた。
時の秘文書はいつも目に入るよう、日用品を置く棚の中央に飾っている。シェリファはそこに特別な敷物を敷いていた。それは髪の毛のように細く紡いだ絹糸で繊細に編み込んだレース。『特別』というのは、あの日に母が持たせてくれた品だからで、父と結婚したときの婚礼衣装の飾りの一部だということだった。秘文書の装幀は黒褐色の革に艶消しの金箔、柔らかな乳色の絹との対比が美しい。文書はほとんど人目に晒されることがなかったからだろう、千年以上の時を経てもなお綺麗なまま保たれている。
秘文書の置き場を飾るきっかけは、三年目の冬の出来事にあった。その日、シェリファは少しばかり熱を出して寝込んでいた。大したことのない風邪だったが、心細さで死にそうだった。家に居たころなら母が暖かい粥を寝所まで運んできてくれただろう。だが今は堅パンを水で流し込んで布団に包まり、熱が下がるのをじっと待つしかない。ぼんやりアーチ状に組まれた石の天井を眺めていると、ふいに風が額を撫でた。窓は間違いなく閉まっている。もしや封印が解けたのでは、と体をこわばらせた。万が一、秘文書を狙う者が侵入してきたなら、どうするか……秘文書は竃に焼べて自分はナイフで喉を突く、いいやそんな余裕はないだろう。棚に置いた秘文書に目をやると、頁ががぱらぱらと捲れ、金色の光が揺らめいたかと思うと人の形を結んだ。それはゆっくりと顔を上げ「我は時の精霊ピリムである」と告げた。
「斯様に粗末な部屋でまずいパンをかじっているそなたがあまりに不憫だったのでな、虚空の狭間より参った次第である。まあ、実体を持たぬ我らが現の世界できることは少ないがな。おや、まるで盗人でも見るような醒めた目付きをしておるな。だが、それも致し方あるまい」
精霊はそう言って、口の端で笑ってみせた。そして秘文書というのは精霊にとって現世の出入り口のようなもので、時の魔術とは時の精霊を使役する術なのだと語った。文書は読んではいけない本だったし、そもそも書かれているは古代文字でシェリファは読むことができないものであったから、その事実をこの時初めて知ったのである。精霊の口調はずいぶんと古風で尊大なものだったが、容貌はシェリファより少し幼く、少年のようにも少女のようにも見えた。精霊に年齢など無意味だろうが。
ピリムはその日以来、時々姿を現した。一方的に言いたいことだけ言って消えたり、たまには話し相手になってくれることもあった。そんな訳で秘文書が単調な日々の支えとなり、棚を特別な空間にしてやろうという気持ちが起きたのだった。
風は少し冷たかったが、日差しは着実に暖かくなっている。中庭に新たに種を蒔くかどうか、ここ数日迷っていた。あと三ヶ月で封印は解ける。秘文書を守っていくのは当然の使命であるとしても、この先自分はどうしたらいいのだろう。ここに住み続けるなら種を蒔いた方がいいけれど、どこか他所へ行ったほうがいいのか。元の家も含めて都は焼けたはずだから、そこへ戻る意味はあるのかどうか。だいたい、外の世界の戦いがどうなったのかも定かではない。いや、それ以前にシェリファは外の世界というものを見たことがなかったのだ。生まれたときからすでに世界は崩壊していた。昔は記文師の家に生まれた子は、見習いとして十二歳で城に上がるのが普通だったというのに、上がるべき城もなかった。学校に通うこともできず、勉強の基礎は父の弟子から教わった。屋敷から一歩も出ることなく十二になり、初めて外に出たのが、隠し部屋に入る日だった。夕暮れに紛れ、おんぼろの荷車に乗せられてここまでやってきて、慌ただしく両親と別れの抱擁を交わして間もなく魔導師による封印がかけられた。
中庭に面した窓際に佇んで、出口の見つからぬ迷いを持て余していると、背後に風を感じた。ゆっくりと部屋の中に体の向きを変えると、ピリムが机に腰をかけて足をぶらぶらさせていた。
「のう、そなた『白銀の弓使い』の話を知っておるか?」
と唐突に言い出した。
『白銀の弓使い』を知らぬ者はいない。子供から年寄りまで誰でもお馴染みの昔話だ。昔々、人が天の怒りを招いて禁忌の魔法が定められるよりずっと前の話。
男は弓の名手だった。彼の生業は炭焼きであったので、それは狩りやいくさのための弓ではない。春と秋の年二回、祭りの時に天に奉じる競べ弓の射手だった。競べ弓のためだけに腕を磨き、当日は真白の麻布に銀糸で縫い取りをした衣装をまとい、普通の者には引けぬような大きな弓に白い羽のついた矢をつがえ、的の真ん中を美しく射抜いてみせる。男の弓は天だけでなく地上の人々をも喜ばせた。しかしある時、隣の邑との間にいくさが起きる。最初はほんの小競り合いだったのが、いつのまにか退っ引きならなぬ大いくさになっていた。男も弓兵として駆り出されることになる。二度目までは無事生きて戻ってくることができたが、三度目の出陣でとうとう挟み撃ちにあい、手持ちの矢はあと一本だけというところまで追い詰められた。たった一本ではもう敵の囲みを打ち破ることは叶わない。ならば最後の一矢をどこへ向かって射るか。男は天に向けて矢をつがえ、あらん限りの力を込めて引いた。人生で最後の弓を天に捧げたのである。と、同時に敵の弩から放たれた石が男の頭に命中し、男の魂は己の射た矢に乗り移り天高く飛び去った。
「そやつが射た矢は、みごと天に届いて、時の流れぬ空間にずっと留まっておる。そして地に平和が訪れた時、証として天からその矢が降ってくる、というわけだな」
「ええ、もちろんお話は知っているけど、どうして突然そんな話を?」
シェリファは再び中庭のほうへ目を向けた。
「その矢を探しに行くというのはどうだ、ここを出て」
「矢が本当に降ってくるとでも? 単なるおとぎ話でしょう」
ピリムはそれには答えず、言葉を続ける。
「そなたの浅はかな迷いを我が知らぬと思うてか。まず、外を怖がってここを出なければ、そなたは一人きりで老いさらばえ寂しく死んでゆく。人の時間は存外短いものである」
「あなたは精霊だから、私の未来なんてお見通しということなのね。浅はかな人間をいくらでも嘲笑えばいい」
自分もいつか老いるという現実は言われてみれば当たり前のことなのに、考えたことがなかった。そんな当然の未来に思い至らなかったのは、愚か者の証拠というわけか。だからといって、ひどい言われようではないか。
「我は下級の精霊で使いっ走りだからな、そんな大層な力はない。でもこれだけは解るぞ。夫も子も持てず、仲間も作らずにそなたが死ねば、秘文書は守る者を失い、次の争いが起きるかもしれぬ。それでは我らも困ったことになる……まあ、なんでも良いが、何かしら外に出る口実でも授けてやろうと、それだけのことだ。それとな、一族の誇りをかけてこんな手間のかかる馬鹿げた仕掛けをこしらえた者達になんと言い訳するのか、言うてみよ」
シェリファは種蒔きを止め、五年間過ごした部屋を磨き上げて、その日を待った。いつか再びここに帰ってきたら、すぐ暮らせるよう整えておく。
隙間なく組み上げられた石壁に亀裂が走って白い光が細く差し込み、ただの壁が石の扉に変化した。とうとう封印が解けたのだ。満身の力を込めて扉を開くと、新緑の匂いを含んだ風が吹き込む。恐る恐る一歩を踏み出せば、目の前にはどこまでも広がる青空があった。生まれてこのかた石壁に切り取られた空しか知らなかった目にはたいそう眩しかった。外がこんなに美しいとは思ってもみなかった。耳を澄ましても人が争うような物騒な物音は流れてこない。届くのは風にそよぐ木々の音ばかりで、人の気配さえなかった。秘文書とわずかな身の回りの品を入れた袋を背負ってさらに進み、とうとう邸の外へ出た。五年五ヶ月暮らした建物を振り返る。初夏の日差しを浴びて伸び放題の草木に覆われた古びた邸、その風景をしっかり目に焼き付け、前を向いて歩き出す。
ピリムは金の光の状態で袋の中から出てきてシェリファの背後で人の形を結んだ。そして「そなたの一歩は、人の新たな一歩であるな」とつぶやいた。
シェリファが去ってから三ヶ月も経ったころ、中庭は夏草に覆われ、草いきれにむせかえるほどになっていた。その上に広がる濃い青空の一点が煌めいたかと思うと暑い空気が切り裂かれ、白い矢羽を持つ銀色の矢が草むらに突き刺さった。