明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

「真田丸」最終回フラグクラッシャー・きりちゃんに希望を託してみた

1つ前で書いた、書きたいことが、これです。(pixivで公開している物と同じ内容です)
真田丸は2016年の最大の楽しみといってもいいくらいで、ほとんどリアルタイムで観ていました。

茶々様と最終決戦前の源次郎の会話シーン「望みを捨てなかった者にのみ道は開ける」一見すると「良い事を言う主人公」な流れでした。が、和睦に関する策は絵空事であることは、何話か前の回ではっきりしてます。(源次郎が千姫に面と向かって、あなたは人質だから云々とひどいこと言っちゃう回)

本気か気休めか、意識的だったのか、深く考えずにその場の流れで口走ったのか。「私の愛した人」に柴田の父上は入っても太閤殿下は入れてもらえなかったから、ささやかな復讐として呪いの言葉を吐いた、ってのはさすがにないか。

とにかく、その場を丸く治めるために機転を利かせた言葉と言ってしまうには残酷だなあと思ったら、放送中も見終わってからもそればっかり気になって、最終回のメインイベントであるはずの家康とのやりとりも吹っ飛んでしまいまして……はい。
ということで、このモヤモヤを晴らすためフラグクラッシャー・きりちゃんに希望を託す小話を書きました。

 

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 黒煙立ち上るお城を目指して、きりはひたすら歩いた。徳川の陣に千姫様を送り届けた帰路である。

 千姫様が陣中に駆け込むと、大御所様——白地に金糸を織り込んだ陣羽織の老人がきっとそうだ——が弾かれたように立ち上がって姫を抱き止め、隣に立つ武将が破顔した。あの将が父上である秀忠公なのだろう。
 恐怖と緊張から解き放たれた千姫様が父と祖父を前に、ようやっと涙を笑顔を見せたのを確かめると、きりは静かに一礼し目立たぬようにその場を辞した。

 きりに目を留める者は誰一人いない。徳川が歓喜に沸き立つ様を背に感じながら、小走りに駆け抜け、雑木林に飛び込んだ。往きは護衛の兵も付いたが、帰りは独りだ。
 今朝方、父から貰い受けた小柄を懐に忍ばせてはいるが、女一人で戦場にいるのを雑兵に見つかれば、面白くないことになるだろう。だから見通しの良い道を避け、藪の中に分け入った。

 蒸し暑い風に乗って、鬨の声が流れてくる。いつぞやの、いかにもやる気のない単調なものではない。腹の底にずしんと響くような、耳の奥まで震えるような本物の声だ。千姫様による助命嘆願は金輪際ありえない。姫様奪還によって勢い付いた徳川の軍勢が、やがて裸城を飲み込むのだ。
 お上様はきりが良い知らせを持って城へ戻り、やがて徳川の使者が訪れると信じていた。城の外はそんなに優しくないことも、千姫様の本音もまるでお分かりでない。周りが寄ってたかって目も耳も塞いで来たからだ。
 でも信じて望みを持って、あのお方は初めて前を向いた。真田が寝返ったという噂が流れてもなお、威厳を保っていた。
 ずっと苦手だったけれど、憑き物が落ちたお上様となら、案外うまくやっていけそうだ。このままお仕えし続けてもかまわない。
 だが、お上様の抱いた望みの中身は空っぽ。この期に及んでまやかしの望みを与えられたと判ってもなお、あのお方は静かに最期の時を受け入れられるだろうか。
 それを策だという話の中身を信じたのか、話した人を信じたのか。まったく罪な話を騙ったものだ。そういうおのれにしても、お上様と面と向かえばどうしても本当のことが言えなかった。となれば、罪の大きさは大差ないのだろう。何もかもままならない人生で初めて持った望みが、こんな有り様とは、あまりに惨い。
 往路の途中で、木々のすき間から源次郎が馬を駈るのを見た。がむしゃらで向こう見ずで、きらきらした真田家の次男坊がそこにいた。人生を賭けて思い続けたその人の晴れ姿だった。しかし、大将が単騎で突撃するという状況が意味することは、ただ一つ。明日はない。お上様に対して、今生で源次郎が謝ることも言い訳することも叶わない。
 気がつくと涙が一筋、流れていた。悲しいのか悔しいのか、よく判らなかった。藁草履の足は泥にまみれ、木立の枝や夏草をかき分けた手はすり傷ができている。濡れた顔を手の甲で拭うと、ぴりりと染みた。
 気持ちを奮い起たせ、足を速める。
 真田左衛門佐の戦が家康の首を取ることなら、これはきりの戦だ。
 踏みしめた下草から立ち上る緑の匂いが、信濃の山野の記憶を呼び覚ます。源次郎のいない信濃に帰りたい訳ではない。ただ無性に懐かしかった。あの頃から歳月を重ね、少しばかり重くなった我が身がもどかしかった。子供のように身軽なら、もっと速くもっと長く走れただろうに。気持ちばかりが先走り、足が思うように前に出ない。とうとう息が続かなくなり、その場に膝をついた。
 肩で息をしながら、空を仰いだ。初夏の陽が傾きかけている。金色の木洩れ日が揺れた。そして林を越えた辺りから聞こえる馬の嘶く声や兵の怒号に混じって、早蝉の鳴いているのに気がついた。
「しょうがないなあ、もう」
 あえて声に出してつぶやく。そして、軽く握った拳を二度三度、地べたに叩き付けた。
 単に覚悟の問題なのだ。何があっても源次郎に付いて行くと決めたのは、自分だ。だから、その何かを引き受けるのも自分しかない。
 信濃の空も大坂の空も一続きであるように、広い心持ちで、どんなことになろうとお上様の気持ちを全て受け止める。正直言って、受け止めきれる自信はない。
 でも——もう、それしかないじゃないか。

 いつだったか九度山の屋敷の庭で、今は菩薩の心境だ、などと大層な物言いをしたことを思い出した。今度こそ本当に、菩薩の境地に至らなくてはならないらしい。
 源次郎には、三途の川のほとりで再会したら、あの澄ました顔にまんじゅうの一つも投げつけて、鬱憤を晴らしてやろうと思う。いいえ、まんじゅうは持っていけないだろうから、河原の石で充分だ。言葉の重みをあの世で思い知るがいい。


 心は定まった。
 城にたどり着く事だけを考え、黙々と歩いた。だが足が重い。
 これが暑さと喉の渇きから来ているのは確かだ。どこかに湧き水か小川でもないものか。喉を潤せば、進む力も湧いてくるだろうと、辺りを見回しながら進むと、鄙びた社を見つけた。
(神様は、いるんだ)
 思わず独り言ちた。夕日を受けたその社は、この世にわずかに残った望みの徴に思えた。
(あのお社の手水鉢のお水をいただこう)
 身を低くし、そろりと近づいて茂った生け垣の外から聞き耳を立てる。物音はしない。しかし人の気配は感じる。兵が休んでいるなら、甲冑の鳴る音などがするはずだし、こんな日に土地の人がいるとも思えない。早鐘を打つ胸を押さえながら、重なった枝の間から目を凝らした。
 境内には白刃を上段に構える素破と、もう生きて会うことはないはずの、あの世で河原の石を投げつけてやるのだと決めていた男がそこにいた。
 七分の驚きと三分の喜びが入り混じって頭に血がのぼり、鳥居の下に走り出ると、仁王立ちになって叫んだ。
「あなたたち、何やってるの」
 佐助はゆっくりと刀を下げて地面に置き、ひざまずいた。源次郎は短刀を逆手に握ったまま、呆けたようにきりを見つめている。そして二人の近くには、喉を切り裂かれた徳川兵の骸が二つ転がっていた。
 答えを聞くまでもなく、事の次第は容易に察せられた。
 だが、潮目は変わった。きりの戦は勝てるかもしれない。
 見たところ、二人とも大きな怪我はしていない。生きていれば言い訳もできるし、良いことだってあるだろう。潔く終わらせるのも、泥にまみれて足掻くのも同じ一生ではないか。そして源次郎がいる世なら、泥にまみれて足掻く価値がある。
「おまえ……何でこんなところにいるんだ」
 源次郎はきりの問いに答えず、逆に聞き返しながら、手にしていた短刀をゆるゆると鞘に戻した。中空を漂っていた心がようやく身体に戻ったようだった。
「千姫様をお送りして、お城に帰る途中です」
「そうか……そうだった。すまん。ちょうどいい、考え直してくれ。このまま沼田へ帰れ……頼むから」
 諦観の笑みを源次郎はきりに向けた。
「なに言ってるんです、わたしはお上様のところへ戻るって、言ったじゃないですか。源次郎様、お願いがあります。一緒にお城に戻ってください」
「ここが潮時だ」
 源次郎はまばたきさえすることなく、つぶやいた。その目はきりの姿の向こうに、彼岸を見ている。
「お上様に、なに言ったんですか」
 ここで踏ん張らなければ終わりだ。言葉だけの慰めや癒しなど、後からいくらでもくれてやる、とおのれを奮い立たせる。
 きりは努めて冷静になろうと、間を置いてから境内に足を踏み入れた。
「朝から気持ち悪いくらい落ち着き払っていたんですよね、お上様。でも、まさかこちらから『どうしたんですか』なんて尋ねるわけにもいかないし」
 辺りに流れる徳川兵の血の臭いのせいなのか、胸の内から冷やかな熱が湧き上がり、その熱に押されるように続けた。
「お城を出るときになって、お上様は言いました。『いざという時、千姫は和睦の使者となる。望みを捨てぬ者だけに道は開ける、と源次郎が教えてくれた』って。わたしはそんな話、少しも聞いてませんでしたけど。本当にそんなこと言ったんですか」
「言った」
 源次郎はすいっと目線を外した。
「あの人、骨の髄までお姫様なんですから。あなたのいうことなら、何だって信用しますよ。望みを持つのはいいです。でも千姫様が和睦の使者になるなんて、本気で思ってたわけ、ないですよね」
「いや……でも、どうあれ伯母と姪、従兄弟同士。いざとなれば……」
「そんなの無理だって、知ってたんでしょ。千姫様はご自分のことで精一杯で」
「ああ、そうだ、だから何だというんだ」
 いらついた源次郎が開き直った。だから、つい口が過ぎた。駄目だと頭ではわかっているのに。
「最後の最後で信じていた人に騙されたんだ、って思うでしょうね。それで、恨みながら死んでいくのよ」
「では、わたしはどうしたら良かったんだ。怯えるお上様を置いていけというのか。おまえは、それが人として正しいというのか」
「じゃあ、じきに偽りだとばれる気休めは、人として正しいってことですか」
「あのままでは城中の士気に関わるんだ」
 これまで何度もけんかして、怒ったり怒らせたりしてきたが、たぶん今日が一番怒らせた。
 源次郎は声を荒げた後、苦しげな顔をしてこちらを見ている。
 きりはいたたまれない気持ちで、深く頭を垂れた。
「ごめんなさい、ひどいこと言いました」
 そして、その場に直ると三つ指をついて、源次郎と同じ目の高さになる。
「源次郎様を信じている方々のために、どうぞお城に戻ってください。真田が寝返ったという噂が流れたのは知ってますか。それでもお上様はあなたを信じているの。たぶん、大野様や毛利様も。殿様は、気持ちが揺れていらっしゃるようだけど、あのお方は周りでいろんなことを言う人がいるから……。大助様は、父上が裏切り者呼ばわりされて、どれほど悔しい思いをしていることか。徳川に一泡吹かせて、お上様と殿様をお助けできたら大勝利とはなりませんか」
 源次郎は何も話さず、空を見上げているばかりだった。
 言うべきことは何もかも言えたと思う。憎まれ口なんてきかずに、最初からこう切り出せば良かったのに、なぜ上手くできなのか。今更ながらこの性分が恨めしい。
 後はただ源次郎の判断を待つしかなかった。
 静寂は重たく、その中を湿気を含んだゆるい風が通り抜ける。

「わたしは、きり様の言うほうに分がある気がしてきました」
 ずっと控えていた佐助がおもむろに口を開いた。源次郎が振り返って目が合うと、少し戸惑ったようにしながらも「『素破が死ぬときは信用を失ったとき』が師匠の教えでしたので」と続けた。
 佐助の言葉をきっかけに、とうとう源次郎が沈黙を破った。
「きり、一つ聞きたいんだが、お上様と殿様を助けるとは、どういうことなんだろうか。今となっては豊臣の家臣として牢人を召抱えるどころか、百石の領地だって無理な話だ。では、どうすれば助けることになるの、か」
 その目はもう彼方の世を見てはいない。手を伸ばせば届くところにいる生身の人を捉えていた。
「ああ、そうね……」
 確かに、先のことまで深く考えていなかった。目の前に道の開けたことに浮きたつ思いのきりの先を、源次郎は考え始めている。
 あの方々は、ただ命が助かれば良いわけではないだろう。だが、ふと、ある思いが湧き上がった。
「お上様に限っていえば、外から城が落ちる様子を眺めたら、とりあえず気分がすっきりするんじゃないですか」
「豊臣家が滅びるのを望んでいるというのか」
「わたしが関白様の側室に上がるかどうかって話、覚えてますか」
 源次郎は無言で頷く。佐助は目をむいて固まっていたが、今は説明しているいとまはない。
「例えば、あの方が無理やりわたしを側室にしたとしたら、きっと恨んだでしょうね。関白様は人柄も見目も良く、わたしとは似合いの年頃でしたけど、それでもね」と、言ってから源次郎の様子をうかがうと、苦笑いを浮かべている。
「太閤殿下は、猿じじいだし、趣味悪いし、権力をかさに着ておなごを思い通りにする人で、そのうえお上様にとっては恨んでも恨み足りない親の仇でしょ。その人の城が落ちたら、そりゃ生き返ったようにすっきりしますね」
 言い過ぎた、と心の中で反省すると、北政所様のおっとりとした笑みが胸をよぎった。寧様があのように懐の大きなお方でなければ、今のきりはいなかったはずだ。
「太閤殿下と夫婦としてうまくやっていけるのは、この世で北政所様だけでした。きっと子を想う母としてのお上様にとっては、豊臣の家は大事なんです。でも、ご自分だけのことをいえば、すっきりさっぱり、じゃないかしら。殿様は、事ここに至ったからには、母上とは関係なく、生きるも死ぬも好きなようになさればいい。もう立派な殿御なんですから」
 お上様の気持ちを勝手に推し量り、あまつさえその境遇を自分と僅かばかり重ね合わせて、思い付くままにしゃべったが、本当のところはどうなのか。捉えどころのない人だし、当たってはいないだろう。
 源次郎は「そんなことで、すっきりさっぱりするのは、おまえだけだ」と笑ったが、わずかばかりの陰が感じられた。
大坂城が豊臣のお城じゃなくなるのは、寂しくないと言ったら嘘ですけどね」と、その陰の色に同意する。あそこには源次郎ときりの人生の半分が詰まっているのだから。
 源次郎はしばらく思いを巡らせている様子だったが「そういうことか……なるほど」と、つぶやいた。何かしら自身の中で得心がいくものがあったのだろうか。
 やがて「では、城に戻る」と、立ち上がった。
「急ぎましょう。昼過ぎになぜか厨から火事が出て、少しづつ広がっているんです」
 きりがそう促すと、源次郎と佐助は顔を見合わせて絶句した。


 徳川兵の骸から引き剥がした具足を、主従二人は身につけた。陣笠を被ってしまえば、見た目はただの雑兵だ。源次郎の甲冑一揃いと、他にも真田とわかる品々は全部ここへ置いてゆく。
 源次郎の策はこうだ。この場所が徳川方にばれなけれそれで良し。ばれたとしても、真田左衛門佐がまだ生きていて、雑兵に紛れているとなれば敵を撹乱できる。兵が互いに疑心暗鬼になってくれれば士気も下がるだろう。
 策を語る源次郎はやはり、きらきらと眩しく見えた。
 甲冑は敵を挑発するかのように、社に上る石段に整然と並べられた。細かい品もみな揃え、最後に源次郎の掌に朱赤の紐でくくられた銭が残った。ずいぶん昔のことだが、見覚えのある物だった。
 名残惜しげに手中の物を眺める源次郎にきりは言う。
「紐を解いてしまえばどこにでもある銭、六文ですから、真田と限ったものでもないでしょう。でも、これはきっと源次郎様を守ってくれます」
 それは、ちゃりん、と涼やかな音を鳴らして源次郎の腰の巾着袋に収まった。

 

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