明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

おんな城主直虎/第49回 感想

前回の終わり方からして、シリアス展開になるのかと思いきや、意外なほどコメディ回。でも後味はちょっと苦かったです。

  • 堺行きで、久しぶりに見ることのできた直虎と愉快な仲間たちの図がうれしかった。初めて行った気賀でハイテンションだった殿がよみがえる。おとわの本質は全然変わっていなかったのね。
    急遽、人を手当てするために方久に詰め寄って有り金を出させるところとか、その借りた銭は後で万千代からむしり取って返すとか、尼さんの格好なのに言うことやること昔の殿のままだ。
  • 直虎が堺に行くことは表の歴史には全く何の意味もないけれど、この時点で龍雲丸と再会することは直虎の人生には意味がありそうな気がしてる。
  • 堺で待ってるという9年前の約束について。龍雲丸は待つと言ったが、おとわはそれに対して、待たずともよいと答えていた。おとわの意識の中では、このやりとりで約束としては「待たない」で、きれいさっぱり上書き保存されてそう。おとわに情緒とか繊細さとかがあれば、別名保存しておいて、龍雲丸の心情など様々に想像してみたりするのでしょうけど。でもそういうのを彼女に求めるのは、無茶だわな。
    「戦をなくすための戦をしている」というおとわに、「相変わらずイカれておるのぅ」と返す龍雲丸が本当に幸せそうな顔をしていた。昔、出会ったばかりの頃に惹かれた尼小僧様が戻ってきたんだもんね。
  • いろんな見方があるけれど、やっぱり信長はただのツンデレとは思えない。最後の家康への贈り物の茶碗を選ぶシーンだけとれば人間味があるように見えなくもないが、全体を通してみると共感性が欠落したDV男じゃないのかなぁ。信康の首を欲しかったのは確かだし、この人のおもてなしは相手のことを思いやるというより、趣味であり美意識を満たすもの。光秀を思い切り蹴倒した直後に優しげな口調で頼りにしてるとか言っちゃうところはDV男の典型で、氏真を楽しい男としか捉えておらず、なんでもないことのように桶狭間の話をする(これは前回でしたが)ところは他者の気持ちに無頓着である証だ。同じ回で氏真が直虎に「そなたにとってはわしも仇か」と言ったことと比べたくなる。もちろん相手の気持ちに寄りそう優しさなんて信長には必要ないが、上に立つ者として人の心理を的確に捉える能力は持つべきではないか、とは思う。
    今は徳川主従を殺す気はないし、家康を大事にする気持ちに嘘はないだろうけど、ちょっと風向きが変わったら顔色一つ変えずに殺してしまいそう。
  • この信長は権力の頂点にいる者として魔王を演っているんじゃなく、直親なんて足元にも及ばない正真正銘サイコパスじゃないかと思えてきた。こんな人の近くに仕えてたら……そりゃ光秀の心が壊れても当然だ。執拗におみくじをひく場面、「敵は本能寺にあり」というおなじみのセリフを口にした時、暗がりの中で鈍く光る目。本当に精神的に追い詰められていたんだろうと感じられた。
    どうやって信長はこんなモンスターみたいな人間になったのか? 母上と折り合いが悪かったとか弟を殺したとか、そういう史実の断片と絡めて色々と妄想が膨らみます。
  • 直虎が方久からせしめた銭で人を雇って、龍雲丸は徳川ご一行が京へ行かないように一芝居うつ。そこに常慶が光秀謀反の本物の知らせを持って現れたので、今度は同行している穴山梅雪を丸め込むための芝居の始まり。打ち合わせ無しなのに、上手いことアドリブがつながるもんだ。康政のような頭の回転が早くて機転のきく人が徳川にいて良かった。
    あとは劇団徳川のコントを堪能させていただきました。スケコマシ発覚の回と同じくらい笑ったよ。
  • 一番かわいそうなのは穴山さん。たまたま一緒にいただけで気の毒なことになってしまった。ここが直虎版・家康が子狸から狸親父に変わっていく出発点なのかも。