明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

おんな城主直虎/第44回 感想

最近、万千代のシーンを見てるとモヤモヤします。
草履番や日の本一の留守居役のあたりは、生意気だけど頑張り屋の中学生を見守るおばさんの気分でワクワクしながら見ていましたが、44回はもう辛かった。この原因はなんだろうと、日曜日からなんとなく考え続けて、思い当たりました。キラキラの万千代には井伊谷に帰還したばかりの直親の、爽やかイケメンの裏に隠された身勝手さと相通じるものがある。

直親は検地回で政次に言い訳も責任も丸投げするところや、次郎に「死んだことにして駆け落ちしよう」と持ちかけるところなど、心底イヤでした。あとから考えてみれば、当時は直親も次期当主として戻ってきたはいいが、突然のことでどうしたらいいのかわからなくて辛かったのだろうと、同情できますけど。

万千代は松下の養子になってからは母や義父からたっぷり可愛がられて、何不自由なく育ち、姑息な手段を使って我を通して、井伊の名で出仕しました。この時の家康の判断に瀬名様の親戚という立場もプラスに働いてたってことなど、どのくらい理解してるのか。なんか「つぶれた家の子」と胸張って言えるほど可哀想な子じゃないんじゃない?

で、材木の一件をずっと根に持ち続けてるらしいってことは、井伊の殿が筋を曲げても自分をバックアップしてくれるのが、未だに(もう18歳くらいになってる?)道理と思っているのでしょう。直親も万千代も見る人によっては健気に映るのだろうし、キレイな顔の裏でどこか無言で他人の厚意を当てにする雰囲気が漂ってるのが苦手なんだな。

出仕の際にあちこちに迷惑かけても我を通したなら、人に(特に直虎には)頼らず、材木や薬など貰おうなんて考えず、自力で勝負してみろや。確かに才覚はあるし、努力は惜しまない子なんだし。

  • 「田を刈り畑を焼く」だけ、ってやつを万千代は見に行くべきだった。武功と出世しか頭にない彼には無理だろうが、もし見ていたら、井戸端での直虎との話はもっと実りのあるものになったはず。
  • なにかというと但馬を持ち出す万千代だが、「どんな手段を使っても戦わない道を選ぶ」と言ったのは、その但馬だということは知らないのだろうか。但馬は井伊家のためだけでなく、井伊谷の民の血を流させないために自分の命を差し出したってことなど、きっと理解していない。直虎はそのへん、きちんと説明してやっているのか? ただ教えるんじゃなく、領主とは何なのか自分の頭で考えなくては意味がないと思っているのか。
  • 武田の間者をあぶり出し、家康を守って一万石の知行を得たところまでは立派だった。間者の正体や家康の寝所にまで侵入されたことは、たぶん一部の人々の間で秘密にしていたのに、己のプライドのために台無しにしてしまった。大勢の前で啖呵を切った様子を本多忠勝は面白がったが、榊原康政は苦々しい表情を見せた。そもそも色小姓のふりをしても家康の側近くに仕え、他の小姓より優位に立つことを自分で選んだのだから、あの場面では堪えなければならなかった。
    前回の初めてのおつかいで、浜松と岡崎の微妙な関係も理解していたはずだよな、万千代。せっかく負けるが勝ちの良い見本が身近にあったのに、自分で自分の将来の主君の立場を危うくするきっかけを作った。こんなに子供のままでは、元服家督を譲り受けるのもまだ無理だ。
    などと書いてたら、鈴木殿の嫡男の静かで凜とした若武者姿が思い出された。当時まだ声変わりもしていなかったけど、間違いなく彼は鈴木家の当主だった。
  • 徳川の家中では殿は受けらしい……
  • 井伊谷のばらは、最期まで立派なお方様だった母上とオスカル直虎でした。直虎が自分の人生を肯定してくれてよかった。

今川は最後にせっぱ詰まって力でねじ伏せようとして、ついに滅びました。その今川でも徳川との和睦の場で、氏真ぼっちゃまに「戦は嫌だ、蹴鞠で勝負をつけたい」と言わせました。万千代のいう「戦って奪って力の証として土地を治める」だけの武家の在り方は、ドラマの中で時代遅れになりつつあるものとして描かれています。あの近藤殿もう力任せではなく、直虎や井伊家の旧臣をうまく使ってるし。万千代がそこらへん覚醒した時が最終回なのかも。
井伊のご隠居様が生きてたら、万千代とはものすごく気が合いそう。