明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

おんな城主直虎/第46回 感想

ただ悲しいだけで終わらなくてよかった。悲しいままだったら、次回まで待つ時間がひたすら辛かったです。

  • 何も言わずに立ち去った直虎、姉様が帰ったと聞かされて、それも当然だと納得する瀬名様。子供の頃なら闘志をむき出しにするか、涼しい顔の裏に隠すかの違いはあっても、二人とも徹底的に食い下がるタイプだった。
  • やっと政次についての本音が直虎の口から語られた。こんなことでもなければ、墓場まで持っていくつもりだったのだろう。悲しいとか申し訳ないとじゃなく、怒っていた。とても直虎らしい感情だけど、めったなことでは口にできないよね。最後に実際に手にかけたのは直虎自身だし、他人にはすんなり理解してもらえないかもしれない。お互い相手を上手く使うと約束していたとか、そんなところから説明しなきゃいけないとしたら……やっぱり無理だ。
    それにしても、直虎が瀬名様を説得する時の表情は凄まじかった。普通なら迫力にのまれて「ごめんなさい、もうやめます」と折れるところでしょう。そんな不動明王ばりの直虎でも、瀬名様の心にさざ波一つ立てることもできなかった。
  • 瀬名様がアントワネットで、石川数正がフェルゼンのよう。美しいとは見た目のことだけでなく、お家のために迷わず命を差し出す潔さも含めてのことなのだろう。
    「何を今更」と瀬名様が余裕で返す様子は、死を前にしても動じないお方様の誇り高さが表れていて、忘れられない名セリフになった。(断頭台に向かうアントワネットと重なって見えてね……)
  • 瀬名様の首桶を囲む人々の組み合わせが、因果と業の塊でした。昔その首を要求した虎松が目の前で生きていて、頑張ったが助けられなかった幼馴染の首桶を前に嘆く氏真ぼっちゃん。でもさらに昔、その幼馴染の首を刎ねる寸前までいったこともあったよね。家康も政次を見殺しにした人だし。そして氏真と虎松は、今ではつぶれた家の子という点において同じ立場。
  • 信長が欲したのは、手駒にならない信康の首であって、武田に通じた者の首ではないのだからどんな策を講じても無理、と視聴者はわかってるけど、徳川家の人々は知る由もない。
  • 白い碁石がこんなところで出てくるとは。和尚様が孫かわいさに目の曇ったジジイではなく、次郎法師を導く賢者に戻った。
    結果的に瀬名様が直虎の背中にもう一度、翼をつけてくれた。今度は井伊谷の外まで羽ばたいて、命を使い尽くすのだろう。政次が笑いながら「お前はどこの領主だ」と言い、対する直虎は「やってみなければ、わからぬではないか」と目を細める……ってありえない世界線を妄想中。
  • 和尚様が直虎にハッパをかけるのに、頭を持ち出したってことは、どこかで再登場するってことでしょうか。殿として比翼の鳥の相棒は政次、連理の枝の相手は頭だといいなと思う派です。
  • 万千代が碁盤の上の石を払い飛ばしたとき、家康が「せ……」と言いかけたところが最も泣けたシーンでした。本当に唯一無二の奥方様だったんだ。この家康ならば、ずっと正室を迎えなかったという史実も納得です。
    さらに、ここにきて政次までが家康の行く末に繋がった。自分の出世=井伊家再興までしか考えられなかった万千代が、とうとう覚醒した。

キラキラの今川館で瀬名様に話しかけられて、挙動不審に陥る竹千代が思い出されてしかたありません。亀・鶴・おとわだけでなく、龍王・瀬名・竹千代の三人の子供時代も大切だった。そして義元が討ち死にして以降の氏真ぼっちゃんの心の変遷も、妄想すると止まりません。

おんな城主直虎/第45回 感想

「答えを選ばれよ」
寿桂尼の抑制のきいた声で、このセリフがずっと頭の中を巡っています。

この回だけ見れば、直虎も万千代もただの傍観者でしかない。でも、視聴者は10ヶ月間、良い時も辛い時も共に歩んできた直虎の目を通し、彼女の経験を踏まえた上で、全ての場面を見ていたはず。だから主人公は紛れもなく直虎です。

そこにあるのは徳川家の悲劇。死んだ目をした家康、全てを悟った若殿と「代わりに自分の首を」と訴える家臣たちを見ながら、頭の中をよぎるのは駿府へ申し開きに行く途中で討たれた直親や、虎松の命と引き換えに戦に駆り出された大じじ様や先代の中野殿、代わり自分の首を差し出すと言った新野殿(確か氏真ぼっちゃんに却下された)。そして闇夜に沈む今川館で声を殺して泣いていた政次。あの時の幼馴染3人組は、現時点の信康や万千代と近い年頃でした。

  • 立派な若殿に、ほんの少しの狡賢さがあったら。適当にボンクラを装って信長に取り入るフリでもできたら、生き残れたのだろうか、信康は。
    家康が今川から離れてからずっと辛い立場にいながら、こんなに聡明で素直な息子に育て上げた瀬名様を思うと泣けてくる。
  • 酒井忠次の心中が今ひとつ掴みきれない。信長の圧力と言葉の誘導で、信康を切る約束をさせられてしまった。最初から望んだわけじゃないけど、こうなってしまったら憎い今川の血を排除する絶好の機会に、とか、ちらっと考えてそう。
    堀川城の虐殺も、殿ができないことを代わりにやったということだったし、あれもこれも確かにお家のために必要なことだったかもしれない。でも殿のために悪役になり切る覚悟があるようにも思えない。堀川城の時は開き直った感じだったが、今回はかわいそうなくらい揺らいでいて、人間らしいとも言えますが。なんていうか、徳川四天王といわれる割に小物っぽい。
  • 信康が捕らえられるところに直虎と万千代が居合わせる。井伊家中の多くの人々、和尚様、そして名もなき重病の子のおかげで生き残り、殿に言いたいことが言える奇跡の意味を万千代は理解しただろうか。
  • 氏真ぼっちゃん、家康の要請で信康救済に立ち上がる。さすがは太守様……なんだけど昔は信長と似たような事、やってたよね。政次を見殺しにした家康が、今度は助けを求めるのと対になっているようだ。

どんな汚い手を使ってでも、自分の代で戦国の世を終わらせようとする家康が想像できる回でした。

おんな城主直虎/第44回 感想

最近、万千代のシーンを見てるとモヤモヤします。
草履番や日の本一の留守居役のあたりは、生意気だけど頑張り屋の中学生を見守るおばさんの気分でワクワクしながら見ていましたが、44回はもう辛かった。この原因はなんだろうと、日曜日からなんとなく考え続けて、思い当たりました。キラキラの万千代には井伊谷に帰還したばかりの直親の、爽やかイケメンの裏に隠された身勝手さと相通じるものがある。

直親は検地回で政次に言い訳も責任も丸投げするところや、次郎に「死んだことにして駆け落ちしよう」と持ちかけるところなど、心底イヤでした。あとから考えてみれば、当時は直親も次期当主として戻ってきたはいいが、突然のことでどうしたらいいのかわからなくて辛かったのだろうと、同情できますけど。

万千代は松下の養子になってからは母や義父からたっぷり可愛がられて、何不自由なく育ち、姑息な手段を使って我を通して、井伊の名で出仕しました。この時の家康の判断に瀬名様の親戚という立場もプラスに働いてたってことなど、どのくらい理解してるのか。なんか「つぶれた家の子」と胸張って言えるほど可哀想な子じゃないんじゃない?

で、材木の一件をずっと根に持ち続けてるらしいってことは、井伊の殿が筋を曲げても自分をバックアップしてくれるのが、未だに(もう18歳くらいになってる?)道理と思っているのでしょう。直親も万千代も見る人によっては健気に映るのだろうし、キレイな顔の裏でどこか無言で他人の厚意を当てにする雰囲気が漂ってるのが苦手なんだな。

出仕の際にあちこちに迷惑かけても我を通したなら、人に(特に直虎には)頼らず、材木や薬など貰おうなんて考えず、自力で勝負してみろや。確かに才覚はあるし、努力は惜しまない子なんだし。

  • 「田を刈り畑を焼く」だけ、ってやつを万千代は見に行くべきだった。武功と出世しか頭にない彼には無理だろうが、もし見ていたら、井戸端での直虎との話はもっと実りのあるものになったはず。
  • なにかというと但馬を持ち出す万千代だが、「どんな手段を使っても戦わない道を選ぶ」と言ったのは、その但馬だということは知らないのだろうか。但馬は井伊家のためだけでなく、井伊谷の民の血を流させないために自分の命を差し出したってことなど、きっと理解していない。直虎はそのへん、きちんと説明してやっているのか? ただ教えるんじゃなく、領主とは何なのか自分の頭で考えなくては意味がないと思っているのか。
  • 武田の間者をあぶり出し、家康を守って一万石の知行を得たところまでは立派だった。間者の正体や家康の寝所にまで侵入されたことは、たぶん一部の人々の間で秘密にしていたのに、己のプライドのために台無しにしてしまった。大勢の前で啖呵を切った様子を本多忠勝は面白がったが、榊原康政は苦々しい表情を見せた。そもそも色小姓のふりをしても家康の側近くに仕え、他の小姓より優位に立つことを自分で選んだのだから、あの場面では堪えなければならなかった。
    前回の初めてのおつかいで、浜松と岡崎の微妙な関係も理解していたはずだよな、万千代。せっかく負けるが勝ちの良い見本が身近にあったのに、自分で自分の将来の主君の立場を危うくするきっかけを作った。こんなに子供のままでは、元服家督を譲り受けるのもまだ無理だ。
    などと書いてたら、鈴木殿の嫡男の静かで凜とした若武者姿が思い出された。当時まだ声変わりもしていなかったけど、間違いなく彼は鈴木家の当主だった。
  • 徳川の家中では殿は受けらしい……
  • 井伊谷のばらは、最期まで立派なお方様だった母上とオスカル直虎でした。直虎が自分の人生を肯定してくれてよかった。

今川は最後にせっぱ詰まって力でねじ伏せようとして、ついに滅びました。その今川でも徳川との和睦の場で、氏真ぼっちゃまに「戦は嫌だ、蹴鞠で勝負をつけたい」と言わせました。万千代のいう「戦って奪って力の証として土地を治める」だけの武家の在り方は、ドラマの中で時代遅れになりつつあるものとして描かれています。あの近藤殿もう力任せではなく、直虎や井伊家の旧臣をうまく使ってるし。万千代がそこらへん覚醒した時が最終回なのかも。
井伊のご隠居様が生きてたら、万千代とはものすごく気が合いそう。

おんな城主直虎/第43回 感想

このドラマの中では第1回から、たくさんの人が恨みや無念を抱えて亡くなっていきましたが、43回で初めて穏やかに見送ったような気がします。

  • 薬は井伊の物だけど、材木は他家の物だってことを未だに理解できない万千代。この点だけ見ると、本当に賢いのか不安になってくる。一度頭に血が上ってしまうと、どうしても客観的な視点を取り戻すことはできないのか。それが井伊家のDNAといえばそうなんだけど。
  • 甚兵衛さんがお空に行ってしまった。寂しくなっちゃうけど悲しくはない。次世代に引き継ぐ物を残して、老いた人が自然の摂理に従ってこの世を去る。第1回の直満の首桶から始まって、とうとう井伊谷は、そういう安らかな死が描かれるところまで来たのだなあ。
  • 相変わらず近藤殿をうまいこと転がすおとわ様。
    経験を重ねた直虎の人あしらいが上手いっていうのもあるけど、近藤殿にしても、領民からの圧倒的支持があった直虎を無下にはできないよね。それと、第35回でケガの治療に現れた直虎を敵討ちにやってきたと誤認したくらいなので、「さすがにやり過ぎてしまった」という後ろめたい気持ちはずっと持っていたはず。
    口ではいろいろ言いながら、適当なところで折れて見せて、計算ずくってことでもないけど、円満な領地運営のためにも上手く付き合っていこうという気はあるんではないだろうか。近藤殿も昔から比べたら、人付き合い能力が上がってる。高瀬のおかげもあるでしょうか。
    材木やら仏像盗難事件やら、思い返すと直虎も近藤殿も昔は直情的で似たり寄ったりの残念な人だった。元をただせば井伊が悪かったとはいえ、仏像の件は近藤殿が盗難をでっち上げるという下衆なやり口を選んでしまった。だから逆襲されてしまうわけで。
  • 報いがなければ人は働かない。家康はそこを大事にしてるが、今川は粛清によって締め付け働かせようとした。デスノート寿桂尼が強大なラスボスに見えたものだけど、実はあの時点が限界だった。振り返ると、武家としての今川が滅びるのは必然だったのね。

直虎が「甚兵衛の松」連呼したおかげで、すっかり回顧モードになっております。

おんな城主直虎/第42回 感想

いいことも悪いことも、盛りだくさん。

  • 虎松は今ごろ、すねておるやもしれんぞ、って言いながら、すねているのは和尚様。万が一あのまま、万千代の言うとおりにしてたら材木泥棒問題が再燃したわけだが、和尚様はどこまで理解しているのやら。直虎はもう、まともに取り合う気はないっぽい。
    なんだか、可愛い孫に好かれたい一心で言いなりになっちゃう無責任じいさんみたいだ。小坊主の虎松に「あれはもう殿ではないから言うことを聞かなくてもいい」と言って白い碁石を渡した時も、泣きじゃくる孫に「ママには内緒だよ」とこってり甘いお菓子を差し出す感覚と似たようなもんだったんじゃないかという気がしてきた。井伊家再興の思いが、全くなかったとは言わないけど。
  • 先輩小姓から嫌味とともに武具の補修を押し付けられた時、「殺す」は言わないの?って、若にストレートに尋ねちゃう万福の、大ざっぱさがいいな。その昔「愛です」と臆面もなく答えた玄蕃が思い出される。
  • 本多忠勝山県昌景の首に短刀を当てたところで、一瞬画面が止まる。とうとう5つ目の生首が?! と思ったら忠勝が掲げたのは兜だった。
  • ノブ曰く「万千代様は顔だけはお可愛らしい」顔が良いということが、親子二代にわたって正当に評価されず、笑えるネタ扱いになってしまう大河。
    ノブの表情が瞬時に変化するところにゾクゾクした。本多佐渡になったところを早く見たい。
  • 居間で見てたので「新しい褌を持て!」のあたりから、本格的にいたたまれなさ全開だったが、効果音がギャグテイストだったので、なんとか乗り切れた。生首より褌アップの方が放送上のハードル低いのね。
  • 之の字と六左が信長から褒美を受ける。そのこと自体は嬉しい。
    が、あの褒美の茶碗が不穏。徳川信康から受け取りを辞退されて、信長としては気分の悪い品になってしまった。目の前からいまいましい信康のイメージと茶碗を手っ取り早く消すために、名もなき田舎の武士に与えたのではないか。木を切って柵をつくったことに対する褒美としては、いくらなんでも城一個と等価値の茶碗は重すぎる気がした。ゲームの画面から抜け出したような、魔王信長の心中のドロドロ具合を想像すると、とても怖い。
  • 今週の万千代は、確かに健気な15歳だった。家康は最高の上司だったし人を使うのがこれだけ上手ければ、徳川が天下を取るのも納得。だけどここからさらに年取って、もののけ度やタヌキ度が増していくと、真田丸片桐且元を篭絡したような大御所様になってしまうのか。白いままでは天下取りはできないってことか。

他にも、信康があまりに好青年で今後が余計に辛い。茶碗の扱いが雑な殿がかわいい。その兄弟子二人も茶碗に興味津々なところもかわいい。等々、上げればきりがないです。ひとまず今回で万千代の将来が見えてきたので、残るは瀬名様の行く末がどんなふうに描かれるのかが気になるところです。直虎のたった一人の女子の友達、直親や政次とはまた違った思いがあるのではないかと。

おんな城主直虎/第41回 感想

直虎が城主になった前後からの出来事がいっぺんに思い出されました。1回も逃すことなく見続けてよかった。 

  • いつの間にかノブと打ち解けて話が弾む万福。これは紛れもなく玄蕃となつの遺伝子だ。政次もそつなく会話できるかもしれないが、初対面であんな楽しげな雰囲気は作れないよね。
  • 15の健気な息子……って、どの口が言うんだ。万千代ってば、都合良く大人になったり子供になったり、難儀なことじゃのう。まあ、自分で自分のことを息子といってるということは、これだけ悪態ついても「殿も父上」という認識は変わっていないところはかわいい。
  • しかし、万福が一緒で良かったな、万千代。一人だったら今頃、返品されてそう。松下の後継は直久と決まったし、もう返品されても帰るとことはないぞ。
  • 高瀬の言うことにはしっかり耳を傾ける近藤殿がかわいすぎた。娘に甘い父の見本のよう。
  • 直虎を名乗って城主になる時、次郎は「直親の現し身になる」と言った。41回を見ていて、今は政次も取り込んで、幼なじみ3人組で一つの命を生きているような感じがした。政次の処刑で片方の翼を失って空は飛べなくなったかもしれないが、大地に根を張って生きている。
    33回以降、直虎が政次について話したのは、辞世の歌が届けられた時だけだったと記憶している。でもこれ以上、劇中で語る必要はない。先週、但馬は家に帰ると笑っていた(辛いお勤めだとしたら、家では愚痴や不機嫌顔でしょ)と、なつから聞いたし、直虎の行動の中に政次は確かに存在しているのだから。政次への気持ちは、無理に台詞にすると陳腐になってしまいそう。
  • 一通の書状で近藤殿への筋を通し、万千代の暴走を阻止し、六左が功を上げる機会を作った。誰も不愉快にならず損もせず、きれいに収めて見せた。昔の材木騒動では突っ走ることしかできなくて、悲劇の遠因を作ってしまったが、今は立派な殿だ。きっちりしているけど堅苦しいわけではなく、優しさと思いやりにあふれていて、直親と政次を我が身に取り込んだ直虎が、たくさんの経験を積んだ果てに行き着いた領主の形だ。
    唯一、万千代だけは不愉快を通り越してバーサーカーになったけど、まだ半人前なので、ここでは人数に入れません。いつか殿の思いを理解できる時が来るんだろうね。
  • 直虎の書状を持ってきた方久と、それに対峙する家康の場面はしみじみと泣けた。堀川城については双方とも後ろめたさや自己嫌悪、悔しさを腹の底に抱いている。でも二人とも今さら言っても仕方ないことは口にせず、方久は真っ直ぐに家康を見つめ、静かに民の安穏だけを語った。

六左が生き生きと働く材木の切り出し場面で、清々しくも暖かい雰囲気で終わったのに、予告がアレですよ。
小姓のお勤めを余すところなく描くってことですか。日曜8時(42回は7時10分だけど)にあれって、長篠の戦いも吹っ飛んでしまう破壊力なんですが。

おんな城主直虎/第40回 感想

大人はそんなにズルくはなかったようです(和尚様を除く)。

  • 直虎が目の前にいると中2病の発作が出るのか、虎松。殿に対してただの百姓だの、もう当主でもないくせになどと、イキがって見せた直後に家康登場。家康は直虎を井伊殿と呼び、中へ招き入れる。それを見ている虎松の様子が良い。なんだかんだ言って殿にはかなわないよね。
  • 虎松に対して貫禄を見せた直虎でしたが、家康との直談判は「話が弾んだだけじゃった」。昔のおとわがひょっこり現れたみたいで、なんだかほっとした。第39回からの直虎は、あまり表情が豊かではなかったので。
  • 戦ってもいないのに負けた家の子と言われるのは悔しい。というのは考えもしなかった道理だった。子供は子供なりに考えてる。が、手順を考えていないところは子供だった虎松。亥之助の方が二歳くらい年上でしたっけ? 絶妙のタイミングで殿と常慶にネタばらしして、陰で虎松の野望をフォロー。さすが小野の子。中2と高1と思うと、この知恵の回り加減の差も納得です。
  • 家康の意向と虎松の意志を受けて「親らしく送り出してやろう、あやつの思うように」と言う松下の父上。松下のために本気で怒っていたしの。松下の父上もしのがあれだけ怒ってみせるから、より気持ち良く折れることができる。
    再婚してからの年月がどれほど良い時間だったのか分かる。しのさん、スケコマシよりこういう穏やかな人の方が合っていたんだな。
  • 但馬は殿に仕えていて不幸ではなかった。はっきりと言葉にして、それも小野家の者から言われたことの意味の大きさ。なつは政次の恋心を知っていたし、自分との密かな夫婦約束もあったが、そういうものは全部胸に収めて、ただ直虎の心を思い遣った。なつに対して直虎はしおらしく「はい」と答える。
  • 口ごもりながら「松下殿」と呼ぶ虎松に、「父上でもいいぞ」と応える松下の父上。このシーンを見たら、もう今までの暴走行為は水に流すから頑張れ虎松、という気持ちになりました。

事態を混乱させた原因を作ったくせに、なんとなく直虎のせいということにしちゃう和尚様。怒れるしのさんにあれだけ正論ぶっつけられても、ぜんぜん堪えてない。やっぱり井伊の黒幕。