明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

おんな城主直虎/第33回 感想に代えて

衝撃が大きくて、感想がまとまりません。
(政次ーーとか、頭よく言った!とか、なつさん尊いとか、尼姿の殿は美しいとか、ぶっ壊れたアホみたいな文しか出てこない)
なので、ドラマの実況+妄想と先代の妄想を感想の代わりにしました。

 

直虎

その胸を一突きし「地獄へ堕ちろ、小野但馬」とぶつけた言葉に、政次は確かに微笑んだ。政次が思い描いた一手と、己の考えが合致していた証だ。
その笑みを、直虎はかっと見開いたまなこに焼き付ける。政次の最期の大芝居を、余すところなく見届けるのだ。そして槍の先が突き刺さり肉に食い込んだその感触を、あふれ出た血潮の色を、決して忘れぬ。これが地獄への道しるべとなるであろう。

決してそなたを一人では地獄へやらぬ、と心を固めながら、さらに続ける。
「日の本一の卑怯者と、未来永劫語り伝えてやるわ」
「やれるものならやってみよ、地獄の底から見届け……」
と、言いながら政次はこと切れた。

もうここに見るべきものはない。骸から槍を引き抜くと、その場に投げ、刑場を後にした。直虎に声をかける者も、追ってくる者もいなかった。

それからどこをどう歩いて寺へ戻ったのか憶えがない。
静まり返った庫裡へ入ると、身に染み付いた倣いで、その部屋に自然と足が向いた。

暖かな陽の差し込む座敷。飾り気はないが、すっきりと整えられたその室内を廊下から見やると、黒い着物の背中が目に入った。碁盤を前に、ゆったりと構えている。

なんだ、我は夢を見ていたのか。
そうじゃ、日の下で碁を指す約束をしておった。
待たせたの、と声をかけようとすると、黒衣の背がゆるゆると動き出す。そして、わずかに首をかしげて振り向く。

 

父上・二人

「狙ったところを迷いなく一突きで仕留める……。全く見事な手際でございましたな、おとわ様は。そこいらの男子では到底かないますまい」
和泉守は、心底感じ入った様子である。
「まこと、あい済まぬ。いや、謝って済むような話ではないが。もう、じゃじゃ馬娘などどいう生易しい代物ではない。というか、出家の身でありながら、あやつは何をやっておるのじゃ」
直盛は額が地べたにめり込む勢いで、和泉守の前にひれ伏した。
「殿、顔をお上げくだされ。こんなところをご隠居様に見られたら、後で何を言われるか。こちらとしてはたまったものではございません」
皮肉めいた物言いだが、和泉守の口の端には笑みが浮かんでいる。
「今際の際のあやつの顔をご覧になったでしょう」
「うむ」
おとわと真っ直ぐに向き合った鶴は、まるで菩薩のようだったと直盛は思う。
和泉守は五色の雲の向こうに広がる世を、目を細めて眺めながら言った。
「小野の本懐でございますよ」

おんな城主直虎/第32回 感想

先のことを考えなければ、この回だけを見れば、希望の光を見た回でした。視聴者は史実を知ってるから、あれにもこれにも死亡フラグを見てしまうけど、ドラマの中の人は、みんな揃って生きる気でいる。

  • 小坊主な虎松がなんかすごくかわいい。次郎もそうだったけど、クリクリ頭に僧衣って子役のかわいさが五割増しになる気がする。小坊主さんたちに混ざって雑巾掛けする六左がまた、かわいい。
  • 瀬名様が以前に登場した時(岡崎城に入れなくて寺にいる)より元気になってる。桶狭間へ出陣前の頃に近い雰囲気。あの時は家康と瀬名様夫婦が癒しの存在だったのよね。家康を日の本一の豆狸と呼ばわる瀬名様、すてき。
  • 政次から領主の器を認められた直虎。そして政次の中で、おとわは誰か一人のものになるべき女子ではない、と決着した。だから「殿をやってる殿が好き」と。どんな形であれ、好きという率直な言葉をはっきりと口に出せたことは、政次にとって良いことだったのだと思うことにした。
    あの場面の直虎の涙は、間違いなくうれし涙だったと思う。だけど切ない。おとわは誰のものにもならないが、もう誰もおとわのものにはならない。
  • 政次がなつに求婚した理由を考えてみる。
    もう今川の犬を演じる必要はなくなったので、小野の正室だからと言って、理不尽な苦労はしないで済む。昔は亡くなった配偶者の兄弟姉妹と再婚するってのは、普通にありだったわけだし、亥之助を次代の当主にするなら親子になっておいた方が良い。そしてなつに「そなたを手放したくはない」と言ったのは紛れもなく本心で、夫婦かどうかは置いといてずっと家族でいて欲しいということなのだろう。だから「形だけ」などという言葉がついてくる。
    政次の中でおとわが永遠の存在であることを承知の上で、受け入れるなつがあまりにも尊くて苦しい。
  • 小野家の家臣団、和泉の代から小野の存在意義を理解した上で、じっと耐えてきたんだろう。あんまり仲の良くなかった息子に代替わりして、息子も結局同じようにねじくれた形で井伊を支えて、家臣団はその様子を何も言わずに見守って仕え続けた。佐名様が人質になった頃の事も知ってる人とか、もう堪らないだろうなあ。今回、最もカタルシスを味わったのは小野家中かもしれない。
  • 無事に事が運ぶようにと、直虎が井戸の前で逝った人々へ盃を供える場面。最後に和泉の名が出たところで、今回一番テンション上がりました。第1回からずっと見続けてきてよかった。
  • ミスした主人公にしっかりツケを払わせる容赦ない展開。近藤さんがついにきっぱりと敵に回ってしまった。

ところで、方久はどうしているんだろう。単純に裏切り者で終わってほしくない。

おんな城主直虎/第31回 感想

もう怒涛の展開で、どこから感想を書いたらいいか分かりません。ただ、すごく苦しいストーリーではあるんだけど、あまり悲壮な気持ちにならないのは、井伊の家中がそろって、未来を信じてるからなんだろうな。誰も捨て鉢にならないのは殿の人柄のおかげか、井伊の血筋(最初の頃は散々、脳筋などとディスったが)のせいか。

  • 六左がかっこよかった。徳政令を受け入れて関口様のところから退出してきた直虎を、何も聞かず笑顔で迎えた。いろんな感情や不安を腹に収めて、辛い立場の殿を思いやる。
    虎松のお付きとして出立する姿は、素朴な雰囲気はそのままに凛々しく品もあって、五月人形の金太郎が大人になったらこんな感じかも。
  • 予告で流れた「地獄には俺が行く」って、家臣の咎も全部ひとりで持っていくってことだったのね。血塗れの短刀がとても生々しかった。普通の時代劇だと斬り合いシーンでも、滅多に血が飛び散ることないし。
  • 関口様を前にしての首改めで、偽虎松の首と直虎が対面する場面。直虎の涙の理由を想像すると、とても苦しい。常慶との取引では「民は殺させない」と言ったのに、名もなき子を犠牲にした。そんな汚れ仕事を、自分が知らないうちに政次が引き受けた。亡骸を抱いて泣いてやることも、墓に葬ってやることもできない本当の親に代わって、その生首を抱きしめたようにも思えた。次郎や和尚様の低い読経の声が無力感をさらにかき立てる。
  • 救いは龍雲丸が政次のことをとてもよく理解していること。いつの間にそんなに仲良くなったんだ。身代わりの子供の手配も、龍雲丸が頼まれたのかもしれない。
    このあと立場上、井伊家が政次の名誉回復できなくても、しがらみのない龍雲丸がいつの日か本当のことを噂話として流してくれたりしないかな、などと妄想してみる。

次回予告の「これより小野は井伊家を復興する」
放送開始以来、辛いこと理不尽なことの連続でしたが、ようやくカタルシスを得ることができます。この後、また落とされることはわかっているんですけども。

おんな城主直虎/第30回 感想

本当にこれで直虎と愉快な仲間たちのお話は、終わってしまったのですね。

  • 今回、一番苦しかったのは方久だった気がする。氏真から話を切り出されて、とりあえず受け入れないわけにはいかないよね。自分の商売もあるし、井伊家に奉公する前からの使用人の命と生活だってあるし。おとわの櫛をまだ持っているし、直虎が城までやってきた時の動揺ぶりが滑稽だけど痛々しかった。損得勘定で井伊を切るつもりなら、いつもの方久のようにもっとうまく芝居をするはず。
  • で、そんなこんなで政次と頭に追い詰められて、今川の安堵状を取り上げられ、やけくそ気味に全部白状して、案外ホッと肩の荷を降ろしてたりして。
    三河から人が来ている、という設定で方久を呼び出すに当たって、政次は頭に本当のこと(悪役を演じている意味とか)を話したのだろうか。いい加減な作り話話じゃ頭は動かなそうだし、二人は大した連携ぶりだった。というか、誰かと共同で何かをする政次は初めて見た気がする。
  • 政令の件がここで生きてくるとは。城主となった直虎に虎松の後見を許した日から、寿桂尼はいざという時には切り札として使う心算があったのだろうか。
  • 碁盤の向こうに相手を感じながら、それぞれ一人で井伊の生き残る道について思いを巡らす直虎と政次。この場面にはありきたりの感想文なんかいらない。
    直虎の計画通り、差し出すのは関口の首、だったら主家が変わっても、また愉快な仲間たちの日々が戻ってきたかな。
  • 関口の一行に徳政令は望まないと訴える領民たち。期限が一晩じゃなく、もう少し根回しなどをする時があったら。彼らならきっと、殿の意図をわかってくれた。

次回はもう明日なんですけど、あんまり色々妄想しすぎないで、放送を見たいと思います。

おんな城主直虎/第29回 感想

しのと虎松の回でした。直親にすけこまされ同盟の直虎と張り合う必要がなくなって、しのは憑き物が落ちたように感じました。

  • 直親も先走りして墓穴を掘ったので、大丈夫か直虎と思ってたら、やはりしくじった模様。人質お願いに直虎が対面した時のしのの正論が突き刺さる。つい突っ走ってしまうところは井伊家の血筋なのか。
    すっかりできるお方様になったしのだけど、頭を下げようとする直虎のでこを手のひらでピシッと押し返す仕草はコミカルで、昔の彼女を思い起こさせる。この場面が変に湿っぽくなりすぎなくて、いい感じ。
  • しのが人質にならずに済む方策を考える虎松と、その話に耳を傾ける直虎。お堂の前に座り込む二人は、仕草も表情もなんだか妙に似ていて、親子というより姉弟のように見えた。
  • 本当は嫁ぎたくない、と虎松に語ってみせることが、しのが最後に最愛の息子にしてやれる教育でした。そして、嫁ぐことが直親の志を継ぐことだ、というセリフで涙腺決壊でありました。
  • 徳川が攻めてきたら城は明け渡すが兵は出さない、戦で民百姓を一人たりとも殺させないと言う直虎。出家して竜宮小僧をやって、桶狭間があって、家中に男子がいなくなり、徳政令拒否から新しい産業を興して、龍雲丸と出会って……と、これだけの積み重ねがあるから、綺麗事で言ってるのではない、現実を見据えた目標なのだとわかる。たぶん直虎の性格からして妥協したりはしない。だからその代わりに差し出されるのが政次、とか?

しのとなつ、やっぱり姉妹だったのね、と納得。しのにとっておとわの存在がどれほどプレッシャーだったのか、思い知らされた回でもありました。

 

おんな城主直虎/第28回 感想

デスノートがまさしくデスノートでした。

  • 今回の始まりは、未来への夢と希望が詰まった、新築祝いの場面。ムダに史実をググったりしなければ、陽気な気賀の町衆や中村屋、銭の犬の道を正しく邁進しようとする方久や、穏やかな表情の龍雲丸の様子を堪能できたのにな。
  • 寿桂尼と信玄の交渉シーンは物の怪対決、正統派の大河ドラマのようだった。この信玄に、沸点の低い氏真ぼっちゃんでは相手になるはずもなく。
    しかし、義元が亡くなってから、孫に太守教育を寿桂尼が施すことはなかったのだろうか。あんまりダメだと、自分で動いたほうが早いとか、つい考えたくもなるか。あれほど冷徹な寿桂尼が、孫にはなんとなく甘いところが妙にリアル。
  • 去年の春さんは微妙にポンコツ正室だったけど、今年の春さんはできる女子でした。真摯な言葉を尽くして見事に氏真を立ち直らせた。そして瀕死のばば様のために屋敷中の楽器を集めた宴。
    現実の楽の音と寿桂尼の夢が渾然一体となった映像に亡き義元が。龍王丸と顔を見合わせて笑ってる。無表情な白塗りは外向きの顔だったのね。これなら氏真だって、今川の家を潰したくはないはずだ。
  • と、今川家に色々あってから、直虎に駿府へのお呼びがかかる。今回ばかりは直虎の成長が恨めしい。直親の一件を問われて、もっとアホな回答をしていたら、デスノートの直虎の名に朱墨のバッテンは付かなかったかな。けど彼女がアホな子のままだったら井伊谷は早々に乗っ取られていたかも、なのでどちらにせよ物騒なことになったのかも。
    主家への忠義といえば聞こえはいいが、結局は面倒くさいことにならないイエスマンだけを残すって事は、ジリ貧になるばかりじゃないか。粛清を繰り返す主にまともな人がついてくるはずもなく、見終わって色々考えてたら、寿桂尼の陰に滑稽さと哀しみを思ってしまった。

直虎が綿布の贈り物をし、寿桂尼が「そなたが娘であったら」と言ったあたりは、普通にいい話で終わるかと思いきや、デスノート登場で最高に凄惨な終わりかたでした。義元と同じ仕草で処刑を命じる氏真。あの部屋の床板はどれだけの血を吸い込んでいるのでしょう。

おんな城主直虎/第27回 感想

男が誰もいなくなったマイナス地点から、コツコツ積み上げ、とうとうここまで来ました。もう脳筋一族の影はないどころか、誰の恨みも買わずに(去年の昌幸パパとは違う大事なポイントだと思うの)まんまと城を手に入れるって、真田家より上を行ってるんじゃないか。

  • 方久、有能。策や言葉を操る有能さではなく、人を見る目があるのね。ああいう風に持っていけば関口様が堕ちるとわかっていた。相手を間違うと不興を買うところだ。
  • 今週のクライマックスは、何と言っても「おとわが気賀を取ったぞ」と、鶴が御初代様の井戸の前で亀に報告するところでしょう。戦をしないで、弱小の井伊が消耗することもなく最高の形。ちょっと前の回で政次が「戦はしないに越したことはない」というような意味のことを言ってた……ような記憶が。
    そして、その様子を和尚様だけがこっそり見ていたところまで込みで、涙腺が刺激されました。もうすぐ政次は退場してしまうのでしょうが、井伊谷を守って、精一杯生きた後に親友の亀に会いに行く、と思えば悲しくない、かもしれない。
  • 辛いな、氏真ぼっちゃん、上の世代が偉大だったから。単なるあほボンだったら、あんなに荒れるはずもない。何だか、間の悪い去年の秀次様を思い出してしまった。
    大方様がいなくなった時が腹をくくる時なのかも。
  • 自由という言葉にどこか縛られていた龍雲丸。今回でこの人の初登場からの心情が腑に落ちました。
  • ピカピカ新築の湖上のお城。開放感があって、真新しい木の香りが漂ってきそう。

次回の「死の帳面」て、誰が誰のことをデスノートに書くのでしょうか。