明日の雲ゆき

最近は大河ドラマの感想ばかりです。

春といえば

今週のお題特別編「春を感じるとき」
〈春のブログキャンペーン 第1週〉

 やっぱり桜です。満開の時の迫力に張り合える花は他にないんじゃないかと思うのです。一昨日は横浜緋桜の写真をアップしたけど、染井吉野はどうしても外せないよね、ということで、ちょっと遠回りをして撮ってきました。

 夕方になると日差しが陰って風も出てきたので、スマホのカメラでは思うようにピントが合いません。当てずっぽうにシャッター切って10枚のうち1枚成功したらラッキー、くらいの気持ちでいくしかない。これは一瞬雲が切れて明るくなったときに1枚だけ撮れた青空バックの桜。

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 陽が陰るとピンクの色味があまり出ない。同じ桜でも春の陽気さが薄くなって、ちょっと妖しい感じがしてきた。

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 河原になぜか5、6本だけ染井吉野の木があるのです。公園の木のように手入れがされている木ではないので、多少のワイルド感あり。

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 一昨日アップした写真の残り物ですが、比べてみるとこっちの濃いピンクは「曇り空なんか関係ないぜ」ってな感じで主張の強い色だなぁ。

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濃い桜

 桜というとまず最初にイメージされるのは染井吉野ですが、通りすがりに見かけたのは横浜緋桜。植物の名前はあんまり詳しくないので断言できないけど、検索したところ開花時期や花の付き方、色味からたぶんそうではないかな、と。

横浜市 環境創造局 横浜緋桜(よこはまひざくら)について

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 濃いピンクで艶やかです。天気が悪かったし夕方に撮影したのでパソコンで露出は調整しましたが、色調・彩度はいじっていません。それでもこの派手な色。この木が植わっているところだけ異空間です。花粉症なもので春はちょっと憂鬱な季節なんだけど、それでも桜を見ると気分が上がりますね。

「風立ちぬ」菜穂子さんについて

 先日のテレビ初放送が初見。いまさら感想書くのもアレですが、次の放送まで放っておくと自分の思ったことも忘れるトリ頭なのでメモっておく。

 この映画、大雑把に言って良かった派とがっかり派に分かれるけど、私は良かった派。もうネットではストーリーの解釈や感想、映像の素晴らしさは書き尽くされているから、キャラクターについて思ったことだけ書いてみる。ジブリでは初といってもいいくらい、主人公とヒロインに血が通っていたと思うので。

 これまでのジブリ映画、作画や演出は好きだったが、ヒーロー&ヒロインは若いくせに人間が出来すぎなところが嘘っぽくて、正直あまりキャラに思い入れはなかった。いつも優しくて真っ直ぐで純粋でキラキラしてる人って、どうも胡散臭くてあまりお近づきになりたくない。優しくて親切で愛想良しのイケメンがいたとして、その実態は自分では何も決めない奴だったりとか、その優しさは押し付けがましさ100%だとか、うざい重たい束縛する肝の小さい男っていうことだってある。その点、二郎さんは分かりやすい人だった。口当たりの良い綺麗事を言う男より正直で、ずっとマシだ。

 菜穂子さんについては、自分の美意識に生きた人だと解釈している。彼女に対して健気あるいは可哀想などという感覚は湧かなかった。サナトリウムを抜け出すというのは、医者や家族の立場からしたら相当に我儘な行為。重病人なのに他人の家で世話になって新婚生活ってのも、常識人にはできない真似だ。そもそも夫の仕事が最優先事項であるなら、この状況で結婚すること自体間違ってる。彼女は世間の常識とは別世界の人で、この夫婦は案外似た者同士だと思った。二郎さんだけが物を作る人ではなく、彼女も絵を描く人だったのだから何かを残したかった気持ちはあったのだろう。けど、死の病・結核に冒された身に残された時間はない。だから自分を夫に向けた一世一代の作品にし、作品がだめになる前に立ち去った。そうすることによって二郎さんの心の中で永遠の存在になった。身勝手だし歪んだ美意識だが、別の見方をすれば見れば夫のために命を削った健気で可哀想な妻といえなくもない。でも彼女はそんな他人の思惑など超越したところにいて、ただ自分のやりたいことを清々しいほどにやりきった。無謀な企てを貫徹する意思の強さは紛れもなくジブリのヒロインだった。

ガラケーとTwitter

 これまでもガラケー使っていて、つい先日またガラケーに機種変更。たぶんあと3〜4年はガラケーでいきます。電池が保つ方がいいんだもん。Twitter公式サイトがガラケー切り捨てても、電池の方が大事だもん(比べるのはそこなのか)。

 携帯にお金かけたくないから、基本ブラウザもアプリも使わない、使うのはホントにメールだけ。ガラケーからモバイル用のTwitter公式サイトというものを見たことがなかったくらいである。とは言え、いまどき外でTwitterがぜんぜん使えないというのもアレだな、ということでこのサービスを使っている。

yabm.in

 最初だけパソコンからアプリの連携をすれば、あとはメールだけで済む。何をするにも空メール送信という手間がかかるので、暇つぶしにダラダラ見るには向かないけど、必要なことはできる。投稿も(写真付きで)メールでできるし、非常事態に備えておきたいという場合は、鉄道やら自治体やらのアカウントを入れたリストを作っておけば、最低限困らないんじゃないかと。

 でも、いつまでこのサービスが存在していてくれるんだろうか。永遠に続いてくれるとは思えない。こういうのがなくなったら格安SIMでスマホにするしかないのかな。そして、いざという時に電池切れそうになって焦る己の姿が目に浮かぶ……。

 実は、スマホ電子書籍リーダーとコンデジと時々ゲーム機として、SIMなしで使ってる。現状では半分おもちゃなので電池の残りとかあまり細かく気にしないでいるけど、電話機だとしたらそれではダメだよね。

Yosemiteにアップグレード

 ウチにある2台のMacのうちノートの方だけYosemiteを入れてみた。世間様より周回遅れどころではない、試合終了してから無人のトラックでこっそり走り出したって感じである。去年アップグレードが始まった当初、Wi-Fiがブツブツ切れるという話がどっと出て、腰が引けてしまったのだ。なんせネットに繋がらなくなったら、その不具合をどうやって直したらいいか調べることもできないわけで。Mac使い始めてウン10年、特定のソフト(Adobeのいろいろ)だけは使い方が身に染み付いているが、それ以外はそんなに詳しくない。説明書通りにルーターの設定をしたり、メモリを挿したり、裏蓋開けて掃除するくらいはやるけど、永遠にそこ止まり。去年の暮れにプリンターを買ったのだが、最新機種は数年前のOSには対応してなくて、結局最新の一つ前にするしかなかった。そんなわけで、どこかで思い切ってアップグレードするしかないんである。まあ、なんかあったら工場出荷状態に戻すだけのことさ、と遠い目をしつつ重い腰を上げた。

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 消えたら困るデータをバックアップして、Yosemiteをダウンロード。ここまでは普通に進んだが、インストールが始まってプログレスバーの上に「あと22分」と表示されているのがぜんぜん減っていかない。10分以上たってようやく21分になったと思ったら、また22分に戻っている。「やっぱり止めといた方がよかったんだ」と思ったが、もうこのまま見守るしかない。結局22分の3倍くらいかかってインストールが終わった。再起動かかって無事にYosemiteが立ち上がってほっとしたのも束の間、iCloudの設定をしろ、という画面が出る。だがしかし、肝心のWi-Fiのアイコンが消えてるじゃん。ネットに繋がってないのに、できるはずないじゃん。もしや一番心配だったことが現実になったっぽい? 投げやりな気分で設定関係については「あとで」をクリックして、通常のFinderまでたどり着いた。で、半分涙目になりつついじってみたら、結局ルーターのパスワードが消えていただけだった。ばかやろー、心配させんなよー。そしてちょっと動作が重い感じがあったが、ディスクユーティリティーの「アクセス権の修復」をやったら治った。というか元のOSの時より動作が軽くなった。MacBook Pro (13-inch, Late 2011)なので、最近の機種に比べたらだいぶ見劣りするスペックだと思うんだけど。もう動作が軽いというだけで、充分アップグレードの意味はあった。iPhoneiPadも使っていないので、個人的に新機能の恩恵はほとんどない。「通知センター」に表示するウィジェットは全部削除して、画面の「透明度」を下げたりしたら見た目はYosemiteっぽくなくなってきた。今の所Wi-Fiはブツブツ切れたり極端に遅くなったりはしていない。

 先日「かぐや姫の物語」の感想を書いたついでに「風立ちぬ」で思ったことをメモしておこう(3周遅れだけど)と思っていたが、そんなこんなで力尽きた。

 

今更だけど「かぐや姫の物語」の感想を書いてみる

 先日テレビで初めて見て、自分の中でもやもやしたものの正体がやっと掴めたので、書き留めておく。世間様から一周遅れですわ。

 映像が素晴らしくて圧倒された。筆と水彩の絵があれだけきれいに動くのは本当にすごい。まさしく職人技の結集。幼少の姫や山里の子供達がころころ動くのも可愛い。どこまでも高い空、匂い立つような緑の深さ、なんて美しいんだろう。女童や相模は素敵なキャラだ。見ていて本当に楽しい。竜の玉を取りに行く大伴大納言の船の船頭さんも好きだ。嵐の中、無茶苦茶な大納言様に対して腹を立てるでもなく変に下手に出るでもなく、淡々と面倒見てくれる。なんて良いおじさんなんだ。ちょっと萌えた。

 ただ、後半になってくるとなんか物足りない。肝心のラストシーンでも、どうしても姫のために涙を流すことができなかった。挑戦的で美しい映像のこの映画は娯楽作品じゃなくアートだからな、泣いたとか感動したとか、そーいう分かりやすい感想はどうでもいいんじゃね、と思ったりもした。しかし、もやもやしたものがすっきりするわけでもなく、週末ずっとひっかかっていた。

 なにやら私にとって印象深いのは映像と脇役ばかりだ。翁は娘からみたらピントのずれたとーちゃんだから、感情移入しにくい人物であるのは仕方ない。でも媼にも姫にも気持ちを寄せる事ができずに終わってしまった。それで人様はこの映画をどう見たのだろうとネット上の感想をいろいろと見てみると、「映像すばらしい、感動した」系と「翁と姫の気持ちのすれ違い、生きる事の重さに泣いた」系が多く、一部にストーリーに納得できない方々がいる模様。

 場面ごとに記憶を辿ってみると……お披露目宴会の中、姫が屋敷を抜け出して疾走するところまでは、それこそ息を詰めて集中して見ていた。だから、少なくともここまでは面白い映画だと思って見ていた訳だ。姫の生き辛さに共感していたし、彼女の感情を写した荒々しい描線の迫力にも魅了された。桜を見に遠出をして、親子連れからはからずも現実(もう野山を駆け回っていた竹の子は存在せず、自分は高貴の姫君としかみてもらえない)を突きつけられるあたりも、まだ中盤だというのに泣けた。で、石作皇子の安っぽい口説き文句に自分で対処しないところで、あれ?と思った。かぐや姫ってこんなキャラだったかな。竹取物語では、求婚者に対しては才が立った姫様だったような記憶がある。っていうか「かぐや姫の物語」でも才女としての描写はあったはずだけど。でも、まあハイティーンの女の子と考えればこういう描き方で良いのかな、と思い直したり。

 やがて、屋敷の中に作られた田舎家のシーンから違和感が大きくなった。たぶん姫はこの場面では大人の年齢のはず。なのに、この後の展開では子供のように感情の赴くまま泣いたり叫んだりするばかりだ。嫌な物は嫌で当たり前だし、悲しかったり悔しかったりすれば泣くのは当然だし、自分の感情を殺して他人のために生きる必要なんてない。でも姫は才女で時代の価値観とは違う感覚の持ち主という設定があるのだから、そこを生かしてほしかった。翁に対してはただ悲しそうな顔をするだけじゃなく、言葉を尽くして自分の思いを理解してもらう努力を見せる場面があったり、御門とは最後の気力を振り絞って健気に対峙するも圧倒的な権力に負けた、とかね。セクハラされて泣くだけでは、見ている者はフラストレーションがたまる一方。そういう話は現実世界だけでたくさんだ。姫がそういう風に頑張っても、物語の展開上たぶんその努力は報われないだろうけど、それでもいいんだ。「生きる」って、報われない努力と報われた努力の積み重ねだと思うから。

 ただし、感情的に泣くだけのキャラが物語を構成するために必要な要素として配置されているのなら、それはそれで構わない。でも、この物語におけるかぐや姫は完璧に肯定された存在であり、監督の代弁者なのだろう。だから監督が意識の底で「最終的には女は泣くしかできない者」と考えているように思えて、醒めてしまったのだ。

 映画公開時のCMが姫の疾走場面だったから、生命力に満ちた雄々しく立ち上がる姫様の話だと勝手に決め込んでいたのかもしれない。実際に視聴してみると男性キャラはことごとくクズ男だったし、人間の身勝手さを描いた作品だとすれば、泣くばかりの姫はありなのかな。

 まあ、とりとめなく書いたが、要は姫は世間の価値観に縛られていないキャラなんだし、学も才もある娘なら、たとえくだけ散っても己の罪と罰に毅然と向かい合って欲しかったんじゃよ(個人的願望)ということで〜。お迎えが来るというラストは変えられないにしても、最後に泣くんじゃなく足掻いてみる姫様がいたっていいじゃん、映画なんだから。

 屋敷の中の田舎家については、マリー・アントワネットのプチ・トリアノンと重なってみえた。どちらも偽物の田舎。アントワネットは、途中いろいろあったが最期はフランスの女王として気高く散って、かぐや姫は赤子のように泣くだけ泣いて月に帰った。

アントワネットのイメージは私の中ではツヴァイクの伝記と、なんといってもベルばらで長年かけて醸造されたものなので、現実がどうかは責任持てません、すんません。

マリー・アントワネット 上 (角川文庫)

マリー・アントワネット 上 (角川文庫)

 

 実際読んだのは、これよりもっと昔の翻訳。この新しい訳の方が読みやすいらしい。

刀剣乱舞、始めました

 10日のサーバー増設のとき滑り込みで間に合い、一昨日からプレイしている。ガンパレード・マーチで多少痛い目を見たので、最初は止めとくつもりだったのに、好奇心の方が勝ってしまった。 


刀剣乱舞-ONLINE- - オンラインゲーム - DMM.com

「刀剣乱舞」は「絢爛舞踏」のアナグラムだとか(Twitterで見た)、敵が歴史の〇〇だとか(これは刀剣乱舞のイントロで初めて知ってあご外れそうになった)、やっぱり世界観は繋がっているんだな。ガンパレは若さと体力に任せて猿のように何周もプレイし、絢爛舞踏祭はゲームを予約して購入したくらいなので、やっぱり基本的に嫌いなテイストではないのだ。とにかく、いろいろやり過ぎて中二病風味が強くなると、どんなに凝った設定も一挙に嘘くさくなってしまうのが嫌。今のところ、ひたすら資源貯めて刀剣集める作業を繰り返している。実はブラウザゲーム初体験だけど、短時間でささっと操作して結果が出るまで放置できるというのは、まとまった時間がなくても遊べて良いなぁ。そしてショタキャラが多くてびっくり。短刀=ショタなのだろうか。まだストーリー的なものは見えてこない。しかし、断片的にしか示されない設定とキラキラしたビジュアルは確かにオタク心をくすぐる。日本刀の本が女性に売れたとかいうのも納得。もし薄い本を作るとしたら、資料として絶対必要だと思ったよ、うん。

 敵のグラフィックがモンスター風なのって、やっぱりお隣の世界のアレがこっちではこうなって……とかいう設定とつながってる?